江戸の蕎麦めぐり。 名店の味を手繰る | ヒトサラ
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蕎亭 大黒屋
- 品質の劣化を防ぐため、石抜き、磨き、粒揃えなどをして低温保存した玄蕎麦を、香りを損なわぬようゆっくりと手挽きしていく。粒の大きさなどにより、目立ての異なる石臼を使い分けて蕎麦の旨さを追求する
- 香り、甘み、風味が高次元で融合する『おせいろ』。在来種ならではの蕎麦の旨さを堪能できる
- 蕎麦以上にもっちりとした食感と力強い味わいが楽しめる『そばがき』。自家製の出汁醤油でどうぞ
- 店は店主と女将で切り盛り。最高の状態で蕎麦を味わってほしいと、夜のみの完全予約制で営業する
- 蕎麦は新潟県の妙高在来と長野県の乗鞍在来の2種を主に使用。妙高在来は特に小粒なのが分かる
11台の石臼を使い分け手挽き
在来種で打つ衝撃の十割蕎麦「今からおよそ3年前のことですかね。初めて食べた時の衝撃は今でも忘れません」
これまで40年以上にわたり蕎麦を打ち続けてきた【大黒屋】の店主・菅野成雄氏をそう言わしめたもの。それが、新潟県は妙高高原の僻地で栽培される在来種の蕎麦だ。ふくよかな香り、迫り来る甘み、そしてややもっちりとした食感。そのすべてがこれまで食べてきた蕎麦とは次元が違っていたという。
その出会いは、菅野氏の蕎麦への取り組み方をも変えた。蕎麦前がもてはやされる昨今、本来主役であるべき蕎麦とどう向き合うかを自問し、在来種の野趣溢れる味わいをいかに引き出すかを念頭に置くように。そして、導き出した答えが、自ら目立てした11台の石臼を使い分けること。その日の蕎麦の状態、湿度などを見極め、その蕎麦が現状で持ちうる美味しさを最大限に引き出すために、じっくりと手挽きをしていくのである。石抜き、磨きといった蕎麦の管理、そして自家製粉は当然のこと。「その先にある美味しさを追求したい。40年蕎麦を打っていてもまだまだ発見ばかりです」と菅野氏は事も無げに話す。
鼻孔をくすぐる豊かな香り、噛むほどに溢れ出す力強い蕎麦の旨み。自慢の『おせいろ』を手繰れば、かつての菅野氏同様、こみ上げる衝撃的な感情は禁じ得ない。 -
手打そば 菊谷
- 『きき蕎麦』。この日せいろで登場したのが新潟県長岡市の三島地区の二八蕎麦。一方、ざるに盛られて供されたのは、栃木県益子産常陸秋そばの十割蕎麦。味だけでなく、その色味にも歴然の差が現れる
- 栃木県益子産、茨城県金砂郷産、埼玉県秩父産など、密な信頼関係を築いた全国の農家から玄蕎麦を仕入れる
- 会津坂下から仕入れる馬のモモ肉を使った『会津の馬刺し』。赤身肉の旨みに特製のニンニク味噌がよく合う
- 日本酒は燗向きタイプと生酒を中心に、約20種をラインナップ。季節の日本酒も豊富に揃っている
- 店主の菊谷氏は、蕎麦屋の未来を考え、生産者との密な関係を築き蕎麦農家を支えることにも注力する
2種盛りの『きき蕎麦』で
蕎麦の無限の可能性を追求一般的に蕎麦屋というと、毎日打つ蕎麦にぶれが出ないよう気を配るものだ。産地違いの蕎麦粉をブレンドする店が多いのも、季節や気候によって味や香りに差が出ぬよう努めた結果である。ただ、ここ【菊谷】の店主・菊谷修氏の見解は異なる。「蕎麦は嗜好品だから、いろんな蕎麦があっていい」と話し、あえて理想とする蕎麦をひとつに設定しないのだ。理由はそれだけはない。例えば、蕎麦の産地。全国には数え切れないほどの産地があるが、【菊谷】でも10種以上の産地を使い分ける。さらにいえば、同じ産地でも農家が違えば蕎麦の特徴は異なり、同じ農家でも採れる畑の場所によって味が変わるのが蕎麦である。
「産地はもちろん、挽き方やブレンド、つなぎの割合を変えたり、時には熟成させたり…。そのひとつひとつの違いで蕎麦は異なる表情を見せる。組み合わせはまさに無限大。自分はその可能性を楽しんでいるんです」
異なる2種類の蕎麦が供される名物の『きき蕎麦』は、そんな菊谷氏のスタイルが投影されたメニューといっていい。その日に登場する蕎麦がどんなものかは菊谷氏の気分次第だが、それぞれの特徴がしっかりと楽しめるよう打たれた蕎麦の“違い”を純粋に楽しんでほしい。
「こんなにも味が違うのか!」。そう感じた蕎麦は、無限の可能性のごく一部にしか過ぎないのである。 -
東白庵 かりべ
- 神楽坂に自らの店を構え約5年、今なお【竹やぶ】の店主・阿部孝雄氏を師として仰ぐ苅部氏。実直な仕事ぶりもまさに阿部氏譲り。名手と呼ぶにふさわしい蕎麦打ち技術と、確かな味で多くの蕎麦好きを虜にする
- 十割ならではの豊かな風味が楽しめる『せいろそば』。蕎麦は1日2㎏、約50人前を打ち、売り切れ次第閉店に
- 『前菜盛り合わせ』は、玉子焼きや豆腐などの5品がひと皿に。豊富な日本酒とともに蕎麦前を楽しみたい
- 「昼酒も不思議と許されるのが蕎麦屋」と、日本酒も約10種を用意。店主と同年代の蔵元の酒が多く揃う
- 店内の設計は【竹やぶ】の内装も手がけた大工におまかせ。テーブルの一部も【竹やぶ】から譲りうけたとか
理想を追求し進化を続ける
名店仕込みの気概ある蕎麦【かりべ】を訪れ、とあるそばの名店が脳裏によぎる人もいるのではないか。路地裏にある隠れ家的な佇まい、ヨーロッパのアンティークを配した蕎麦屋らしからぬ空間…。蕎麦が供されれば、手挽きの臼を模したような器と、そこに盛られたスラリとした蕎麦にまで、その面影は見て取れる。
その名店とは、店主・苅部政一氏の修業先である千葉県柏にある【竹やぶ】である。苅部氏は調理師専門学校卒業を控えていた頃、【竹やぶ】で味わった蕎麦に感銘を受け、店主の阿部孝雄氏に弟子入りを懇願。以来、本店では阿部氏に師事し、六本木ヒルズ店では店主を任され、16年もの間同店ひと筋を貫いてきた。だから、この店に“竹やぶイズム”が色濃く表れるのはある意味当然なのである。
それは、蕎麦においても同様。苅部氏は「技術は当然、蕎麦屋として、人としての在り方まで、いろいろと教えていただきました」と言い、さらに「蕎麦屋は、食べてホッとするような、“その店の味”が大切」と話す。汁の甘さや香り、醤油が立たないこと。それでいて、蕎麦を優しく包み込み、その旨みを引き立てる。蕎麦の香りや風味にぶれがあってはならないことは言うまでもない。どちらか一方が際立つのでなく、麺と汁があってこその蕎麦。それこそが苅部氏が追求する理想型。十代の頃、【竹やぶ】で味わった、あの感動の蕎麦なのである。 -
蕎麦の膳 たかさご
- 戦後、GHQの指導により機械打ちへと移行。平成3年に店舗を改装したのを機に、先代の蕎麦打ち技術を後代に残すべく3代目の宮澤佳穂氏が手打ちを復活させた。現在、3代目とともに4代目の和彦氏も厨房に立っている。
- 味、香りのバランスが素晴らしい『せいろう』。ボリュームとリーズナブルな価格にも老舗の矜恃を籠めた
- 力強い蕎麦の甘みが広がる『そばがき』。ふんわりとしながらも、噛み締めればむっちりと弾力がある
- 4代目がつくる『みがき鰊』。鰊を1日かけて米のとぎ汁で戻した後、半日かけてじっくりと炊きあげた逸品
- ダウンライトでほの暗く照らされた店内は落ち着いた雰囲気。BGMにはクラシックが流れる
味、香り、喉越し、食感が
高次元で融合する十割蕎麦「本来は、特別コースにだけ登場するお蕎麦です」
そう言って差し出された白く透き通るように美しい更科蕎麦に驚いた。一般的に更科粉は、澱粉質が多い蕎麦の実の中心部のため、水だけでつなぎを加えずに打つのが非常に難しい。湯ごねをして打てばつながりやすくなるが、すると今度はツルリとした更科ならではの喉越しは損なわれてしまう。その更科粉を、何とここ【たかさご】では、水だけで十割で打っているのである。
そして、その蕎麦打ちの技術は、通常メニューの『せいろう』にも如実に現れる。十割ながらスラリとしなやかで、断面は四角くしっかりと立ったエッジ。すすれば喉越しは実に滑らかで、噛み締めるとシコシコとした食感の中に溢れ出す蕎麦の甘みも十分に楽しめる。
そんな確かな蕎麦を楽しめる店だが、明治時代の創業から手打ちを続けてきた一方、実は戦後から約40年間機械打ちで蕎麦を提供した時代があったという。それを「先代の手打ちの技術をこの店に残したい」と復活させたのが、三代目の宮澤佳穂氏である。蕎麦は、青森県や秋田県から玄蕎麦を仕入れ、手作業で石抜きを行い、磨きをかける。さらに粒の大きさにより8種類に篩い分け、石臼で自家製粉。そこには、手打ち蕎麦屋として老舗の看板を受け継ぐ3代目の矜恃が籠もっているのだ。 -
ら すとらあだ
- 蕎麦の実を石臼で手挽きすることで、粗めの香り豊かな蕎麦粉に。あとは蕎麦粉の特徴を見極め、丹念に打つのみ。あらゆる工程に現代機械を使わないため、仕上がりはすべて職人の技次第。日比谷氏の作品とも呼ぶべき蕎麦を堪能しよう
- 一軒家を改装した店は、知人宅に招かれたかのよう。居心地よい空間で、気兼ねなく蕎麦を満喫できる
- 日本酒は出汁の風味と合う純米酒を中心にセレクト。生酒や冷やおろしなど季節限定酒も豊富に揃う
- 『和牛もつ煮』。風味立ちのよい薄削りの鰹節を使用することで、もつの甘みをいっそう引立てる
- 最高の蕎麦を追求し続ける職人・日比谷氏。少々シャイだが穏やかな人柄も店の人気を支える一因
それぞれ異なる食感と旨み
個性が光る3種の蕎麦「喉越しというよりも、よく噛んで味と香りを味わって頂ければ」そういって差し出される3種類の蕎麦。標準的な細打ちは軽く食べやすいが、口中にふくよかな蕎麦の香りが広がる。太打ちはモチモチとした食感のなかから、噛むごとに旨みが立ち上がる。そして平打ちは、しっかりとした弾力とともに、蕎麦の風味がダイレクトに伝わる。勧められるままに塩で味わってみれば、爽やかな蕎麦の香りがいっそう強い。それぞれに明確な個性があり、甲乙つけがたい魅力を持つ。これこそが店主・日比谷吉弘氏が、毎日3種の蕎麦を打つ理由。「今の道具と技術で表現できることをやりつくしたい」そんな思いの表れなのだ。
さて、そんなこだわりの蕎麦を手繰る前に、まずは蕎麦前を少々頂くのもいい。もちろんこちらも逸品揃いだ。神奈川の在来大豆を石臼で挽いて仕立てる自家製豆腐は、自然な甘みが印象的。農家から直接届く無農薬野菜は、旬の旨みを凝縮。シンプルな煮物にも、風味豊かな薄削り鰹出汁が奥行きを加えている。
味わい深いつまみと蕎麦への期待で、酒もついつい進んでしまうかもしれない。だが多少酔っても大丈夫。この店の蕎麦の力強いおいしさは、ほろ酔いの舌にだって確かな存在感と忘れえぬ感動を刻みつけてくれるから。
※このページのデータは、2016年5月上旬取材時のものです。メニュー、営業時間、定休日などの情報は変更されることもございますので、あらかじめご了承ください。