“好き”を凝縮した、都会のオアシスのようなフランス料理店
――丸テーブルがつくる曲線が優しい、オーガニックな雰囲気のお店ですね。どういうイメージでご自身のお店をつくられたのでしょう?
「木漏れ日が差し込むような、温かい雰囲気にしたい」というのが第一にありました。都会にありながらも自然を感じられて、仲間や友人とリラックスして食事を楽しんでいただけるような空間をつくりたかったんです。店内は無垢の木の色を生かしたナチュラルな色合いにし、砂や石など、自然の要素をたくさん使っています。
――根本さんは【カンテサンス】で5年半働き、ソムリエの寺島唯斗さんの前職は【ベージュ アラン・デュカス
東京】でした。新しいお店はグランメゾンのようなお店を想像していたので意外でした。
自分の店を、好きなようにつくったらこうなった、って感じですね。もともと堅苦しい雰囲気は好きではなくて。どんなレストランにしたいかを考えたときにまず思ったのが、普段の食事の延長線として、緊張せずに楽しめるレストランでした。リラックスした心地よい雰囲気で、日常にある特別な日を豊かに彩るようなレストランになれたらいいなと。
――テーブル側でカットしてくれる焼き立てのパンや、目の前でつくる『ネモケバブ』などは、お客様が「わーっ!」と盛り上がるメニューですね。
やりたかったことの一つとして、出来立てをお客様に、すぐに提供することでした。パンもあつあつの湯気が立っている状態で食べていただきたいと思い、今の形に。コースの途中で、目の前のワゴンで調理する様子が見られたら楽しいかなと思い、ケバブも組み込みました。
──『ネモケバブ』が登場して、驚きました。あのメニューはどうやって誕生したのですか?
実は、【カンテサンス】時代に一緒に働いていたフランス人の子が、まかないでケバブをつくってくれたことがあったんです。岸田シェフは、「まかないは好きにつくっていいよ」と言ってくださっていたので、自分も含めて、みんなが勉強のために色々とつくっていました。その時のケバブが「面白かったなあ」と印象に残っていて、そのイメージが頭の中で膨らみ、「お客様の目の前で提供できないか」と考え、メニューになりました。
──まかないが、新作メニュー実験の場だったんですね。
先程の話に出たパンも、まかないのときに何度も試作を重ねたものです。中はふわふわモチモチに、外側の皮は薄く、クリスピーな食感を大切にして焼き上げています。もちろん、まかないの時間だけでなく、この店でもたくさんの試作を重ねました。食感のコントラストと食べ飽きない味は、自信をもってお客様にお出しできるものになったと思います。
――パンやケバブ以外にも、【カンテサンス】で働きながら、オープンを見据えてメニューを考えていたのでしょうか?
それはもちろん。岸田シェフは【カンテサンス】をオープンする前に300近くレシピを考えたと聞きました。それなら僕は、それを超える数を考えないと難しいだろうと、レシピとまではいかない、アイデアのメモになりますが、500近く考えました。
――500も!? それはすごいですね。今まで働いてきたお店それぞれで学びはあったと思いますが、【カンテサンス】ではどんなことを学んだと思いますか?
岸田シェフからは、食材に対する心がまえ、味付け、火入れの仕方などを学びました。食材に向き合うときは、そのバックストーリーや生産者の思いは一回横に置き、「その食材が本当においしいかどうかをしっかり見極めろ」と常におっしゃっていました。僕は根っからの魚好きなのですが、魚の目利きに関しては岸田シェフが信頼を寄せてくれていたのが嬉しかったですね。
――【カンテサンス】では二番手で、チームを引っぱっていたと伺いました。
はい。【カンテサンス】にはスーシェフという言葉はないのですが、実質的にチームのマネジメントなどを任せていただいていました。料理のことはもちろん、チームメイキングなど、人をどう束ねていくか、という経験は本当に勉強になりましたね。
小さい頃からの魚への愛が膨らみ、料理人の道へ
――魚のお話が出ましたが、根本さんといえば、スペシャリテも魚料理。魚に対する愛がすごく強い方だな、と感じます。
そうですね。幼少の頃からの魚好きが高じて、料理人になったようなものですから。祖父が釣り好きな人だったこともあり、東京に住んでいながら、おやつは魚という家庭でした。そんな環境で育ったからか、夕食がアラ鍋だとしたら、真っ先に頭をしゃぶるのが大好きな子どもに育ちましてね。そんなわけで、物心ついた頃から、祖父に下田へ釣りに連れて行ってもらい、自然と自分も釣りをするようになりました。釣った魚を捌いて料理し、家族にふるまっているうちに料理が楽しくなり、料理人になろうと思ったんです。
――そうなんですね。魚が好きであれば、寿司屋や和食の料理人になりたいと思わなかったのですか?
それが、なぜか“フランス料理がかっこいい”と思ったんですよね。それで調理師学校へ行ってフランス料理の道を目指しました。
――卒業後は、【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】(現【NARISAWA】)に入社しますね。なぜ【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】に?
当時の僕は、本当になんにも知らない人間でした。だから、どこに行きたいのか見当もつかず、“フランス料理 高級”でGoogle検索して見つけたのが、【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】でした。検索して一番上に出てきたんです。二番目は【エディション・コウジ
シモムラ】さんで、とりあえず一番上から面接に行ってみようと思って連絡をしました。
――面白い。でも、それもご縁ですよね。
こんなこと、成澤シェフが聞いたら怒られちゃいますが、そのくらい無知で短絡的な人間だったんです。けれど、それが地獄の始まりでした(笑)。【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】で働いていたときは、本当にキツかった。ひたすら毎日の仕事をがむしゃらにこなす日々。足りない頭を回転させて、今日の仕事、明日の仕込み、必死で働きました。本当に厳しくて、人が入ってもすぐに辞めてしまう。でも、僕は最初がこうした環境だったので、これが普通なのだと疑問にも思わなかった。この頃の経験が、料理人としての基礎を確実につくってくれました。
すごく辛いと感じることもあったけれど、当時のスーシェフの中塚貴之さんや、シェフパティシエだった中野慎太郎さんが、僕の仕事をきちんと見てくれていて、ちゃんと評価してくれた。そして成澤シェフも厳しいけれど、愛がある人でした。だから続けられたのだと思います。
――【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】で記憶に残るエピソードはありますか?
僕みたいな下っ端は、シェフと向かい合って話すなんてこと、なかなかできなかったのですが、成澤シェフは給料を手渡しでくださるので、そのときは二人だけで話ができるんです。ある日、成澤シェフから「謙虚にやれば、お前はなんとかなる」と言われまして。その言葉がずっと心に残っています。思えば当時、肉を焼かせてもらっていましたが、「洗いものも、やりなさい」と言われていました。調子にのりやすい僕のことを考えて、そうした働き方を指導してくれていたのかもしれません。以来、ずっとその言葉を忘れないようにしています。
視野も経験も広がった、人生の転機での渡仏
――そのあと、【エメ・ヴィベール】や【ルカンケ】などで働いて、パリに行きますね。昔からパリで働くと決めていたのですか?
いえ、僕自身まったく考えていなかったんですよ。その頃、結婚したのですが、妻や義理の両親からも「フランス料理を極めるならパリで働くでしょう!?」と言われ、渡仏したんです(笑)。家庭を持つなら責任を持たなきゃいけない、と覚悟を決めていたところもあって、そのためにもいい経験になると思いました。
――それもまた、面白いですね。
最初は、【レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ】時代の先輩を頼って働かせてもらい、その後、ミシュラン一つ星の【Le Sergent
Recruteur】で働きました。そのお店は、厨房と客席の間に窓があって、出来立てをすぐに出せるように工夫されていて、自分が店を出すならこんな風にしたいなって思いました。それで、【NeMo】にも同じような窓を設けました。
【Le
Sergent
Recruteur】は50席くらいありましたが、主に4人の料理人で回していました。キッチンに鳩を50羽並べて仕込んだり、ヨーロッパならではの野菜を扱ったりと、日本ではできないことをたくさん経験しました。休みの日は、妻とともにフランスの地方を回ったのですが、そのときも、自分は都会から抜け出せないクセに自然が好きなんだなと感じましたね。
――なにがきっかけで帰国したんですか?
ビザが切れるタイミングで帰国を決めました。当時、パリで一緒に働いていた日本人のスーシェフの方が【アストランス】出身の方で、岸田シェフのことをよく知っていらっしゃったんです。日本で働くなら【カンテサンス】に行きたいと思っていたので、パリにいる間に岸田シェフに連絡し、「ぜひ働かせてください」と伝えて、【カンテサンス】で働くことができました。
自分が触りたい理想の魚しか使いたくない
――冒頭で、「【NeMo】は好きなようにつくった」とおっしゃっていましたが、根本さんの歩まれてきた時間をうかがうと、なるほど、ここには根本さんの“好き”が詰まっているんだなあと納得します。
はい。料理の構成もそうですね。僕、本当に魚が好きでたまらないんです。だから、コースのデザートを除く7品のうち、5品が魚介の料理です。そして、魚は自分が納得したものしか使いたくない。料理人としていろいろな魚を扱ってきましたが、自分が“触りたい”と思う魚って本当に少ないんです。僕、小さい頃から釣りをしているから、本来の魚の姿は”こうあるべき”というイメージが浮かぶんですよね。色やツヤ、形や質感の“こうあるべき”基準が明確にあるんです。
――どんな魚がいい魚なんですか?
おいしい魚は、“生きている色”をしています。それはリアルに生きているという意味ではなくて、“ちゃんと死んでいる”というか。そういう魚は生きていなくても、傷ひとつなく、輝いています。
たとえばクエ。僕、この魚が性格も含めて大好きなんです。基本一匹でいる魚ですが、水温が低くても高くても釣れません。水が綺麗すぎても出てこない。けれど、潮目が変わったら急に食ったりする。いかつい風格なのに、産卵の時期には、決めたメス一匹にずっと寄り添う優しさもあって。若いのも年寄りももちろんいるんですが、年齢が上だからといって必ずしも大きい魚ばかりじゃない。なんだか人間みたいでしょう? こうした経験を積み重ねてから市場に並ぶ魚を見ると、“なにか違う”と感じることが多くて。ところが、信頼している漁師さんの魚は、死んでいたとしても僕のイメージ通りなんです。
――魚を愛する根本さんだからこその経験値で、おいしい魚が見極められるんですね。
こうした魚は、ちゃんとした人が釣っている。締め方、冷やし方、運び方に愛情とプライドがあって、うろこ一つ落ちていない。魚の質は、釣った人で決まると思っています。だから僕は、18歳のときから一緒に釣りをしてきた下田の漁師・鈴木
豊さんからまずは仕入れます。そのほかの魚は、釣り仲間から教えていただいたご縁から買っています。
――『穴子のフリット』などは、コースでいただいて印象に残った一皿です。
あのアナゴは、鮨屋の【青空】さんに教えていただいた、ウエケンさんから仕入れています。あの料理は、脂が強すぎるアナゴだと合わないんです。ですから、「ぷりっとした脂の少なめのものをお願いします」と伝えるのですが、まさにイメージにぴったりなものを送ってくださるので、俄然、料理にも力が入ります。この料理は好評なので僕もうれしいです。
レストランとは、自然に笑顔が生まれる温かな場所
――料理は素材を生かした、繊細な味わいですよね
そうですね。素材の特性を見極め、火の入れ方などを変えておいしさを引き出すよう心掛けています。「この食材には、これが合うな」と思う季節のものをシンプルに組み合わせて、味を組み立てていくことが多いですね。
――ソムリエの寺島さんが、「根本さんのお料理に合うワインの幅は、とても広い」とおっしゃっていました。
そうですね。今はヴァンナチュールからグランヴァンまで、かなり幅広く揃えています。寺島から、【カンテサンス】や【ベージュ アラン・デュカス
東京】時代のお客様がいらしたときに、こちらではヴァンナチュールやフランス以外のワインなど、より軽やかなワインも楽しまれる、と聞きました。僕としても、リラックスして楽しんでいただければうれしいです。
――自然体で、肩肘はらずにおいしいものを楽しんでほしい。そんな気持ちが伝わります。
東京生まれ・東京育ちの僕は、都会から抜け出す勇気はない。けれど、子ども時代に自分を育ててくれた下田の海をはじめ、自然が大好きなんです。だから、東京で自分が「好きだな」と思うエッセンスをちりばめた空間をつくりました。そして、自分たちが信じる料理とサービスで、ゲストを友人のようにもてなしたい。そんな思いでつくったレストランを通じて、お客様の日常に、温かくて幸せな気持ちをお届けできたらとてもうれしいです。
撮影/岡本 裕介 取材・文/山路 美佐 2021.10.4 取材