北海道・広尾町の昆布の生産性を高め、さらに価値のあるものに

北海道・十勝 広尾町で昆布漁に携わる保志弘一さん

太平洋と日高山脈に挟まれた、十勝平野の最南端に位置する十勝の広尾町。その地形から、酪農そして漁業が盛んな町だ。十勝港と音調津漁港がある太平洋沿岸部は親潮と黒潮が混じり合い、10月、11月に漁の最盛期を迎えるししゃもをはじめ、鮭、毛蟹、つぶ貝など、実に様々な海の幸が水揚げされる豊かな海に恵まれている。ここの漁師たちは、季節に沿いながら数種の漁業権を持ち、さまざまな魚を獲りながら生きてきた。

広尾町生まれ、広尾町育ちの保志弘一さん(36歳)は、祖父の代から続く3代目の漁師だ。保志さんは高校卒業と同時に漁師の道へ入り、当時は父親の大型の漁船に乗り込み、ともに南は五島列島、北は羅臼までイカ釣りで日本を縦断することもあった。地元の他の漁師と同様、サケ、マスの流し網やカニ籠などをしながら日々漁をしていたが、年々海の状態の変化し、そして獲れる魚が変わっていき、それに伴い漁のスタイルが少しずつ変わっていったと話す。

「拾い昆布漁」に欠かせない道具マッケ

「『魚が獲れない』そんな声が仲間たちからもちらほら聞こえだしたのは10年以上前でしょうか。その当時から、父親の旅船スタイルの漁も獲れるときと獲れないときの差が激しくなりました。そんな状況で旅船での限界を感じた頃、地元に根づいた昆布漁に出合いました。魚の浮き沈みは激しかったけれど、昆布はいつも豊かに広尾の海にありました。安定して漁獲が見込めたんです」。

昆布の歴史は古く、古事記や日本書紀にも「海布」という文字で登場する。昆布の語源はアイヌ語の「コムブ」からという説もある。広尾町がある十勝の昆布の歴史も古いと思われ、『松前随商録』の1772年(安永)から1789年の記録には十勝の交易品のなかに“干鮭、棒鱈、熊皮、鹿皮、ラッコ 昆布 鹿腹籠”と記載があり、それ以降の年も昆布が交易の品の常連となっている。

この記述からも広尾町の昆布は、少なくとも250年前から、この地の人々の糧として人とともにあったことがわかる。

浜辺から昆布が流れていそうな場所にマッケを投げる

昆布の種類は、元昆布、三石昆布、長昆布(真昆布)、水昆布、黒昆布、天塩昆布、利尻昆布、細布昆布、猫足昆布、粘液(とろろ)昆布、縮昆布、かごめ昆布、こつか昆布の9種類に分けられるが、広尾町で取れるのは、日高三石系昆布。通称「日高昆布」だ。

広尾の昆布漁は天然ものを獲る。漁期は7月から10月。収穫するのは、根がついてから2年くらいした7−8mの昆布だ。船で海上に出て鈎棹という道具で岩についている昆布を刈っていく。しかし、この昆布漁が実はかなり難しい。というのも、ベタ凪でないと漁ができないため、船を出す日が極端に少ないのだという。

「ある年は漁期の間に船を出せたのがたったの10日ということがありました。船だと品質の良い長い昆布が獲れるのですが、漁獲量が少ない。ですので、漁期が終わった後も、『拾い昆布』という漁法で昆布を取りにいかないといけません」と保志さん。

マッケを引き上げると、たくさんの「寄せ昆布」がかかってくる

「拾い昆布」というのは浜から昆布を獲る手法だ。昆布が岩からはがされ、流れてきたものを文字通り“拾う”のがこの漁法。“拾う”といっても一筋縄ではいかない。マッケという碇のような形の道具を海に投げ、流れてきた昆布をひっかけて獲る。3.4キロもある鉄の塊を遠くに飛ばして、大量の昆布を引き上げるのだから重労働だ。

古い文献を見ると、アイヌの人たちもマッケのようなもので昆布を引き上げている絵が残っている。時代は移り変わり、さまざまなことが変わっても、何百年も前からのプリミイティブな漁法がまったく変わらずに現代に受け継がれていることに、見た人は驚くだろう。その光景を見て、不思議な気持ちと、神聖な気持ち両方が湧いてきた。

「大しけの翌日は、昆布がたくさん浜に寄ってくるので漁師たちが大勢出るんですよ。台風一過の翌日なんかは大漁ですね」と、昆布をひっかけては集め、長く質のいいものだけを選り分け、手際良く束にしながら話す保志さん。ちなみに、「拾い昆布」は通年いつでも漁をして良いのだという。実際、取材時は、広尾町の特産、ししゃも漁の最盛期。保志さんもししゃも漁の船に乗りながら、船が出ないときは昆布を取りに浜に行く、という生活をしているのだそうだ。

助成金を申請し、昆布漁の未来を変える取り組みを

海からすぐのところにある湧水「フンベの滝」。代々の昆布漁師は、昆布を獲ったあとここで洗って干し場へ行く

「拾い昆布」は拾っただけでは終わらない。漁師がその日にやらなければならないことは、まだ山ほどある。

まず収穫した後は、その昆布の束を(一束20キロはゆうにある)担いで車に載せ、近くの湧き水へ洗いにいく。汚れや、からまっている切れた昆布の端などをきれいにするのだそうだ。

昆布の束がきれいにさっぱりしたところで、また車で移動する。到着した場所は、ゴロゴロとした丸い石が敷き詰められた空き地のようなところ。ここが昆布を乾燥させる干し場だ。石は川の石と海の石をあわせて置いてある。海の石は太陽熱を吸って50℃近くなり早く乾くのに効果があるがくっつきやすい。そこで温度はさほどあがらないがくっつきにくい川の石を混ぜることで、ちょうどいいバランスを作っているのだ。

「本当は、今の時期(10月末)は太陽の光が弱くなってきているので、風干しするんです。けれど、昆布の天日干しを見て欲しいので、獲ってきた昆布で最盛期の干し方をやってみますね」と、保志さんは話すやいなや、昆布をまっすぐに並べ始めた。

獲った昆布は一本ずつ丁寧に干していく

「今日の昆布は拾い昆布なので短いですが、最盛期の昆布は8m近くあるものも多いです。その場合、並べるのに背負い投げのように遠心力を使って昆布を伸ばし、まっすぐにして並べるんです。炎天下の中それは本当に重労働。熱中症で運ばれてしまう高齢者の方も多いんですよ」

実はここまで、保志さんが私たちに広い昆布の一連の作業を見せてくれたのには訳があった。昆布漁の高齢化が進み、高齢の漁師が昆布漁の作業をするにはとても大変だということを、実体験を持って理解して欲しかったのだという。

このままでは、体力が衰えて獲れる量も減るし、作業も少ししかできなくなってしまう。収量が減れば収入も減ってしまう。緩やかに坂道を転がるように衰退していく昆布漁の現状を見ながら、なんとかしたいと考えた。そのときにある人から「事業再構築助成金」のことを聞き、その助成金で漁のあり方を再構築して別の価値を生み出せないかとひらめいた。

「まず導入したいと思ったのは乾燥機です。昆布は乾燥させないと腐ってしまう。だから天日干しの場合、確実に晴天が続く日でないと漁に出られない。けれど機械で乾燥できたら、天気が悪くても漁ができる。そうすれば天気のいい日にたくさん、ではなく時間が空いた時に少しずつ漁をすることができる。体力のない人でも無理なく続けられるし、雨でダメにするリスクも減るし収量も増えます」。

助成金でつくった、昆布の乾燥小屋と、昆布の粉砕をする作業小屋。地元の建築家の友人がつくってくれたそう

聞けば、誰もが真似したくなるようなアイデアだと思うが、さにあらず。昔ながらのやり方にこだわる人のなかには、天日でないと色艶が出ないし、風味もよくならないという意見もあるという。だから保志さんはただ乾燥機を導入するだけでなく、そこからさらに踏み込んだ事業化の道筋を考える必要性を感じた。そこで頭に浮かんだのは、昆布の商品化の際に出てしまう端切れを使って価値を作れないかということ。そこまでを通して形にすれば、他の人も興味を持ってくれるのではないかと考えたのだ。

「昆布は出荷する際に、105cmの長さにそろえなければいけない規定があるんです。それにあわせて昆布を切っていくと、必ず余りが出ます。それは屑昆布として「雑三等」という規格に収まるものは良いものの、それ以外だと値段がつかない。これに価値をつけられればと思いました」。

昆布を企画の105cmに切っていくと、元の部分も含め端数がでてしまう。端数は、箱にまとめて保存し、安く売られていた。現在はその部分を『星屑昆布』にしている

まず、保志さんが考えたのが、広尾の昆布ならではの特徴を出した製品をつくることだった。広尾の昆布は日高昆布と長昆布両方の特性を持ち合わせ、短時間でも出汁が出やすい。そんな昆布をミルで挽けば、うま味調味料のように使えるのではないか。そう思いついて半端となってしまった昆布をミルで挽いてみた。

その粉になった昆布を、友人に渡して料理をしてもらい、トマトや柑橘とあわせると、旨味がぐっと底上げされて美味しくなることがわかった。この結果を数値化したいと、粉にした昆布を成分分析にかけてみると、2mm角にまで粉砕された昆布は通常も状態よりも2倍の旨味成分が出ることがわかった。しかし、1mm以下になると苦味のもととなる成分が多く出てしまう。1mmから2mmの間に収めれば、他の昆布にはない広尾の昆布だからこその旨味調味料になるのでは、そう思い製品化を決めた。

昆布の端材を特注のミルで粉砕したところ。1粒が1mm〜2mm角の大きさに

乾燥機を入れて、安定的な収量を確保し、商品のロスを別の価値に変えた商品にするー。昆布漁の持続可能な未来への希望を思い描いた事業計画は、見事採択され助成金が降りた。なんと漁師では第一号の案件だったという。

「助成金でつくった乾燥部屋ができたのが今年の6月です。パウダーのほうは、昆布の粉砕器も特注してようやく商品化に漕ぎ着けました。価値のあるものには、きちんとした価値をつけたいです。こうした取り組みをやることで、漁師の未来になにか少しでも変化をもたらせられたらという一心でやっています」。

こうした取り組みを少しでも知ってもらおうと、広尾町の観光協会・ピロロツーリズムとタッグを組んで、一般ツーリストの昆布漁の体験の受け入れも始めた。

商品化する『星屑昆布』。保志さんの名前と星をかけてネーミング。購入はピロロツーリズム振興協議会https://pirorokikaku.com/contact/へお問い合わせを。

商品になったばかりの星屑昆布を手に語る保志さんと話をしながら、会ったばかりの彼がまっすぐ私を見て言った言葉を思い出していた。

「その昔、昆布漁師は儲からないから、嫁に行くなって言われていたこともある業種なんです。自分がやっていることは、価値があることなのだろうか?ぐるぐる考える時期がありました。けれど、先人の歴史を知れば知るほど、自分たちの仕事は誇るべき価値があるものだと思えるようになった。誇れる仕事を、正しく人に、正しい価値として伝える、そういうことをやりたいんです」

保志さんのまっすぐな思いが込められた、この小さな瓶は、未来への可能性に繋がっている。

撮影/我妻直樹  取材・文/山路美佐

PAGES