地域の酪農家の“良質なクラフトバターをつくりたい”という思いから生まれたお菓子
栃木県の北部にある那須郡那須町は、100近くの牧場がある酪農が盛んな地域。クルマを走らせれば、青々と輝く牧草地や、整然と並ぶ牧草ロールが視界に入り、この県が本州一の生乳生産量を誇るということを認識させられる。
まず向かったのは、「バターのいとこ」に欠かせないスキムミルクを供給する【森林ノ牧場】。その名の通り森林を活かした酪農を営む牧場で、起伏のある土地には茶色い毛並みのジャージー牛が放牧されている。日本で飼育される乳牛のほとんどが白黒斑紋のホルスタイン種であることを考えれば、とても貴重な眺めだ。
代表の山川将弘さんに案内されて牧場の中に足を踏み入れると、我々の姿を見つけた牛が無邪気にじゃれてきた。
「可愛いでしょう?」。山川さんが目を細めて言った。「ジャージー牛は人懐こくて愛嬌がある。ミルクもおいしい。脂肪分が高くて、こっくり甘いんです。これでつくった発酵バターは最高ですね」
山川さんの口から「バター」というキーワードが出たので、今回の取材の本題である人気の新銘菓「バターのいとこ」が生まれたきっかけを訊ねてみた。すると、彼はすぐそばにいた一頭を撫でながら言った。
「実を言うと、『バターのいとこ』は、おいしいバターをつくるために編み出した策なんです。というのも、バターのことを知れば知るほど、小ロットで製造することの難しさを痛感し、スキムミルクを活用しないとことには、バターづくりは不可能だと認識するに至りまして……」
山川さんの発言が意味しているのはこういうことだ。
バターは牛乳から約5%しかできないとても貴重なもの。言い換えれば、牛乳の90%以上がスキムミルクとなる。それに加えて、バター製造にはものすごく手間がかかる。余談になるが、現在放送中のNHK連続テレビ小説「なつぞら」には、まさにそうしたくだりがあった。
もし、それでもクラフトバターに挑むなら、何をすべきか――。山川さんの言葉どおり、バターづくりの過程で出るスキムミルクに新しい価値を与えることかもしれない。スキムミルクは、通常、脱脂粉乳に加工されるが、小ロットでの加工は現実的ではなく、小規模な酪農家がそれを実行するには無理が生じる。だから、スキムミルクを活用する別の手として「バターのいとこ」が生まれたのだ。
「『バターのいとこ』が流通すれば、小ロットでもバターがつくれるようになる。そうしたら、【森林ノ牧場】以外の酪農家のバターづくりも請け負えます。バターは売りやすく、保存も効くので、もし委託加工が叶えば、六次産業化に踏み出したことにもなる。『バターのいとこ』は酪農の多様化に向けた一歩なのです」。
日本の酪農を変える、おいしいだけでは終わらない「バターのいとこ」
「バターのいとこ」という名前は、生乳から分離したバターとスキムミルクの関係が“いとこ”を連想させることに由来する。その見た目はゴーフルというフランスの焼き菓子のよう。スキムミルクでつくられたミルクジャムがワッフル生地にたっぷりとサンドされていて、噛めばふわっ、シャリッ、とろっの3つの食感と、どこか懐かしい甘さがたのしめる。
おいしさは評判を呼び、現在、品薄の状態が続いているというが、クラフトバターづくりに挑もうとする山川さんにとってはここからが勝負だ。牧場の敷地内にはすでにクラウドファンディングなどを活用してバターの製造環境を整え、現在は販売・流通を目指した試作が重ねられている。
話を聞いて共感したのは、山川さんが、自分たちの牧場の満足に終始せず、周辺の牧場のバターづくりを請け負おうとしているところ。「大切に育てた牛から搾った生乳がバターになるよろこびを多くの酪農家に味わってほしいんです」と彼は穏やかに語ってくれた。が、これは並大抵でないはずだ。【森林ノ牧場】がこれまでも乳製品の加工・販売を行う、いわゆる六次産業を実践してきたとはいえ、バターづくりの手間を考えればかなりの苦労が増えるのは容易に想像がつく。その率直な感想を伝えると、山川さんは頷くように言った。
「もちろん大変です。それでも、やるべきだと思っています。なぜなら、僕はクラフトバターをつくって人々の食卓を豊かにすると同時に、小さい酪農でも自立できることを示したい」
しかし、現実は厳しい。一般的な酪農家は農協などの指定団体を介して一律の乳価で乳業メーカーに生乳を売るが、これは、酪農家が生産に特化し、乳製品が安定的に供給されるために必要な仕組みではあるものの、酪農を多様化させづらいのだ。
「僕は、今の仕組みと並行し、六次化などによって生産者と消費者が一体となれる環境をつくりたい。お客様の『おいしい』という言葉ほどうれしいものはありませんし、生産者と消費者が繋がれば、お客様に喜んでもらいたいというシンプルな気持ちも生まれるでしょう。クラフトバターづくりは酪農の未来にさらなる可能性を与えてくれると信じています」
日本の酪農について発展的に思考すればこその発言だが、山川さんがそうした姿勢を持っているのは、【森林ノ牧場】がもともとある森を活かしていることからも明らかである。
日本はその国土の7割を森林が占める世界でも有数の森林大国だが、我々が使用している木材製品の多くは輸入に頼り、多くの森林が放置されたままになっている。それに対して、【森林ノ牧場】は牛に下草を食べさせて森林の環境を維持し、自然の循環を取り戻そうとしている。酪農×森林のサステナブルな取り組みを実践しているのだ。
また、山川さんは雇用に対してもフレキシブルな姿勢を持っている。今、酪農界では働き手や後継者が不足し、深刻な経営難に陥っているところが少なくないが、【森林ノ牧場】では地元の障害者を積極的に雇用することで労働力を確保。「彼らは真面目によく働いてくれる」と評価する。
「バターのいとこ」は単においしいだけではない。安価に扱われてきたスキムミルクに価値を与えたり、小さな酪農の自立を促したり、地域の資源を活用したり、新たな雇用を創出したりと、酪農界に横たわるさまざまな問題の解決策として生まれたお菓子。言い換えれば、日本の酪農の将来に可能性を与える一手なのだ。
写真/木村文吾 取材・文/甘利美緒