自然に寄り添う飼育に自家繁殖。独学で見つけたチョウザメの養殖法

【S Caviar Labo】のチョウザメを育てている池

東に木曽山脈、南は三河高原に囲まれ、名水の地としても知られる岐阜県・中津川。【S Caviar Labo】のチョウザメの養殖場はそんな美しい山間の長閑な地にある。【S Caviar Labo】は、「東濃建設有限会社」という建設会社の新規事業として始まったもの。建設会社の新事業として、一流料理人を魅了するキャビアがどう作られているのか興味を持ち、取材班は岐阜へ向かった。

最寄駅の美濃坂本駅で、【S Caviar Labo】のオーナー大山晋也さんと待ち合わせる。ほどなくして車で大山さんが迎えに来てくれた。聞けばここから車で20分くらいだという。山道に入ると、大型ダンプと何台もすれ違う。こんな山の中に?と不思議に思っていると「美濃坂本駅はリニアが止まる駅になるので、そのための工事がはじまっているんですよ」と教えてくれた。

「建設業であれば、大山さんの会社も関係あるのではないですか?」と聞くと、「うちもやってますよ。公共事業の受注は大きな仕事です。でも実は、キャビア作りは公共事業受注減がきっかけで始めたんですよ」と、思いもかけないことからチョウザメ養殖に踏み切った経緯を話してくれた。本業の建設会社に水産事業部を立ち上げたのは社長である父親、大山明彦さんの判断だった。民主党政権時代に公共事業の受注が大幅に減ったことから危機感を抱き、2010年、趣味である錦鯉の養殖ノウハウを生かし、高級魚の本モロコの養殖を始めたのだという。

【S Caviar Labo】の大山晋也さん

「もともときれいな水が豊富な場所でしたから淡水魚の飼育には向いていたのです」。そう大山さんが話す通り、到着した養殖場は二ツ森山と三界山に囲まれた山間の美しい場所にあった。この付近は「獺之沢(おそのさわ)」と呼ばれ、付知川という清流が流れる自然豊かな土地。川魚を育てるには好条件の土地だった。元々魚が好きだった大山さん、水産事業の責任者に自分がなると父親に宣言し養殖業に没頭していく。

しかし、少しやってすぐに行き詰まった。モロコが無事育っても思ったように売れない。どうしたものかと地元の商工会に販路の相談をしたときに、たまたま行った奥飛騨温泉郷の「ガーデンホテル焼岳」でキャビア生産のために養殖していたチョウザメを見学したのが転機だった。大きくて悠々と泳ぐチョウザメを見て「これを自分も育ててみたい」と一瞬で恋に落ちてしまったという。

2011年、自分もチョウザメの養殖、そしてキャビアの生産にチャレンジしたいと稚魚を300匹購入。会社の新事業の一環として、チョウザメ事業を担当は大山さん一人やると決めた。しかし、試行錯誤で育ててみたが、鯉やモロコ以上に飼育しにくかった。原因不明で死んでしまうものも多く、一年たって生き残ったのは半分の150匹だった。

採卵まで6年から20年という歳月がかかる生産現場

のどかな獺之沢の山間にある、チョウザメの養殖場

そこで残った150匹を、鯉を飼育していた屋外の池にいれてみた。これがうまくはまった。チョウザメの養殖に偶然にも適して、その後独自のやりかたで育てることができたのだという。

養殖場は、休耕地を生かした水深3mほどの池が11箇所ほど。近くの湧水を引いているという池は緑色の水が印象的だ。肉眼では池の中にいるチョウザメを見ることはできない。

聞けば一つの池に100匹近くのチョウザメを育てているという。一見多いように聞こえるが、10㎡に2匹と低密度での飼育。のびのびと育つストレスフリーな環境だ。

以前見たチョウザメの養殖場の様子とはまるで違うことに驚いたと告げると、「できるだけ、自然にチョウザメが生きていた環境に近い形で育てようと考えています。植物性プランクトンが発生している池で育てているから緑色の水なんですね。綺麗な水=透明な水ではないんですよ」と大山さんは答えてくれた。

実はチョウザメが死んでしまう最大の原因は酸欠なのだという。池には水車を入れて酸素を水の中に取り込むようにしているのだが、植物性プランクトンとの共生は酸素を水中に供給することにも一役かっている。加えて、餌の食べ残しや池に溜まる糞尿などを分解してくれるのだという。また、チョウザメは太陽が苦手な生き物。こうした水の環境にすることで直射日光をさえぎることができ、快適にチョウザメが過ごすことができるのだ。

チョウザメは淡水魚。チョウザメという名は、背中の鱗が蝶のような形をしているからだという

 現在、大山さんが育てているのは、ベステル、スターレット、シベリアチョウザメ、ロシアチョウザメ(オシェトラ)、ベルーガなど9種類。

チョウザメは卵を持つまでに非常に時間がかかる魚だ。品種によって卵を持つ年齢が違い、早いものでもベステルやシベリアチョウザメなど抱卵するまで6年から7年かかる。ベルーガになると20年たたないと卵を持たないという。つまり、少なくともキャビアとして販売できる前の6年間は、初期投資期間としてひたすら餌をやり、育てるしかない。非常に気の長く忍耐が必要な養殖であり、民間参入が難しい理由もそこにある。

「うちは建設業が本業であり、かつモロコもやってますので、こうしたビジネスのありかたでもギリギリできるところもあります。だから、長年生きてくれたチョウザメが朝起きて死んでしまっているのを見つけたりすると、本当に落胆してしまいます」。

水質が変わってしまうと、チョウザメはすぐに死んでしまう。自然に近い環境で育てているということは、台風や大雨、猛暑などの気候も大きく影響する。そうしたものとどう共存していくか、ということも長年の工夫で編み出してきた。

研究を重ね、実現した自家繁殖

自家繁殖し、温度や水質管理をして育てている稚魚の水槽

2017年、6年間育ててきたシベリアチョウザメ3匹がようやく卵を持った。大山さんはその卵でなんと、自家採卵、そして繁殖を始める。

「チョウザメの養殖は、稚魚を購入し育てるのが通例。でも僕は最初から自分の手で作ってみたかった。稚魚を買うほうが簡単だし、“何が違うの?”と聞かれれば、特に違いはないかもしれない。でも採卵し受精させる、最初から自分が関わっていてできた商品なら責任もって“間違いない”と言えますよね。あと誰もやってないということにも魅力を感じましたし、“メイド・イン・中津川”と胸を張って言えますしね。だから自家採卵・孵化にこだわっています」。

簡単そうに話す大山さんだが、チョウザメの採卵はとても難しい。卵が熟したころに、人工的に排卵を促し採卵をするのだが、タイミングが少しでもずれると排卵しない。メスのチョウザメの排卵タイミングはたったの2週間しかないのだという。北海道大学水産部の教授などからアドバイスを受けながら、地道に成功させる方法を見つけていく。

孵化して1ヶ月から2ヶ月の稚魚

 また、孵化のタイミングは年間いつでもあるわけではない。4月の終わりから5月にかけての短い期間で作業をしなければならない。しかもタイミングが少しでもずれれば、チョウザメは排卵してくれない。卵がちゃんと出るまでは夜も眠れない日々が続くのだと話してくれた。

取材時はちょうど稚魚が生まれてから少し経った頃。稚魚専用のプールに生まれて1ヶ月ほどの稚魚がいる飼育場を大山さんが見せてくれた。こちらは細菌感染などに最大の配慮をして沢の水を濾過し、さらに殺菌した水で育てている。水の温度も一定に保つようきめ細やかに管理しなければならない。少しでも環境が変わってしまうと死んでしまうのだという。

いくつもの小さなプールには、すでにチョウザメの姿になっている稚魚が元気に泳いでいた。このなかで商品になるのは20%程度だ。育てるうちに生育の差がでるので、そこで大きく躯体がしっかりとしたチョウザメを選ぶのだという。その選抜チームを1年間半、池で育てられるくらいまで大きくし、その後池に移していくのだ。

「いい魚というのは、頭が小さく胸が張っていて胴回りがしっかりしたもの。コイでもモロコでもチョウザメでも一緒。そしていい魚の卵でつくるキャビアはやはりおいしい。この子達がどんな風に育つのか、今から楽しみですね」。

撮影/今清水隆宏  取材・文/山路美佐

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