世界でも前例がない、キングサーモンとニジマスの掛け合わせ

山梨県小菅村にある「小菅養魚場」。山間を流れる清らかな川のすぐそばに建つ

清らかな多摩川の源流の水で育つ、「富士の介」

山梨県は日本有数の水に恵まれた県だ。

世界文化遺産の富士山を始め、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父など、国内屈指の名峰に囲まれ、県土の80%近くを豊かな森林が占める。そんな山々に雪や雨が降り、その水が大地に染み込み、数十年という長い年月をかけて地中で濾過され、地下水となる。そしてその清らかな水が泉となって地上に湧き出て、人々の暮らしに還元されていく。味わいはまろやかな軟水で、「名水百選」に選ばれている湧水地も多く、ミネラルウォーターの出荷数は全国一を誇るという。

写真上/小菅養魚場から車で20分程度走るとたどり着く、多摩川の源流と言われる「雄滝」近くの川

そんな豊かな水を利用して古くから栄えてきた山梨県の代表的な産業が、マス類の養殖だ。

その主力の魚種は、ニジマス、ヤマメ、イワナ、アユ、ニシキゴイ等の淡水魚。生産の7割をニジマスが占めている。もともと、山梨県民は淡水魚をあまり食べないため、需要は塩焼きや釣り堀用の観光客向けが多く、一般的なサイズの魚を主流に養殖していた。そこで県民に食用としてのマスの魅力を知ってもらうために、水産技術センターで他にはない価値のあるブランドマスの開発に力を入れ始めた。

彼らがまず着目したのが、サケの王様“キングサーモン”だった。サケの中でも最大級の大きさを誇り、なによりおいしい。ところが、いざ養殖試験を始めてみるとキングサーモンは繊細な上に淡水では大きくならない。非常に育てづらい魚だったのだ。

実際、ほかの県でも養殖の試験は試みられているが、日本では国内養殖のキングサーモンは流通していないという。

そこで、ニジマスと掛け合わせて、育てやすくすることを考えた。これが目論み通りにハマった。一般的な養殖業者が、利益が出るように育てられるまでに改良に成功。これは日本で初のことだという。2007年から始まった研究は2019年に実を結び、「富士の介」というブランド魚として流通するようになったのだ。

マス類の中でも、非常にデリケートな「富士の介』

「小菅養魚場」の古菅一芳さん(右)と、フリーランスシェフとして活躍する堀内浩平さん(左)

「『富士の介』は脂のうま味もしっかり感じるおいしい魚で、以前からよく料理に使わせていただいています」と語るのは、山梨県出身の堀内浩平シェフ。新時代の才能を発掘する、日本最大級の料理人コンペティション“RED U_35”で、2021年度優勝に輝いた期待の若きシェフだ。

この日、『富士の介』の生産現場を訪れてみたいと小菅村までやってきた。にこやかに迎えてくれたのは、山梨県養殖漁業協同組合 代表理事 組合長でもある、古菅一芳さん。昭和27年に創業した「小菅養魚場」の2代目でイワナやニジマスなどを育てている。

川の水を引く生け簀で、ゆうゆうと泳ぐ『富士の介』

「マス類の養殖には、湧水を使う方法と河川の水を引き込んで育てる方法があります。この場所は、河川を引き込んで育てている場所です。すぐそばを流れる小菅川は多摩川源流に近い場所だから水がきれい。マス類の質を決めるのは、水の質といっても過言ではありません」と古菅さん。

美しい山並みを背景に、すぐ脇には小菅川。清流の爽やかな音が聞こえる距離に養殖場はある。木々の緑の匂いが濃いきれいな空気と、クリアな水。自然の恵みを分けてもらいながら、人の暮らしがあるのだと実感する場所だ。

「マス類は20℃を超える水では弱ってしまいます。その点、ここの河川水は夏でも19℃くらいまでにしかならないので育てるには最適。けれど、冬は2〜3℃になってしまうので、その間は魚が育たない。つまり、生育がゆっくりなんですね。一方、湧水を利用した養殖は、1年を通じて水温が一定のため成長が早い。安定した品質の魚を早く生産できるという利点があります。湧水育ちも河川育ちもそれぞれのおいしさがあるけれど、僕は個人的に季節によって育ち方が異なる川育ちのほうが、身質が締まり、味も好きなんです。科学的根拠はないんですけどね」と笑う。

「富士の介」はとても繊細。一匹ずつタモで傷つけないように慎重に捕獲する

古菅さんが育てているのは、イワナにヤマメ、ニジマス、大型マスの「甲斐サーモン」、そして「富士の介」だ。「富士の介」は5年前から育て始め、ようやく出荷できるようになったという。

「いやあ、もともと『富士の介』は、キングサーモンとマスの掛け合わせでしょ。すごくデリケートなんだよね。さらに僕は川の水で育てているので出荷サイズになるまで3年以上かかる。だから、手がかかるといえば手がかかるよね」。

大型魚なので、密な場所ではすぐに酸欠になってしまう。古菅さんの養殖場では、激しい流れで酸素をたっぷりと含んだ河川の水をそのまま引いているのだが、こまめに水車などを回して酸素を取り込まないといけない。皮膚が弱いので、他の魚とぶつからないように密度にも気を配る。同じ大型の「甲斐サーモン」はニジマスを大型化したものなので、そこまで難しくないというが、育てにくいキングサーモンの血を半分引く「富士の介」は、とても繊細な魚なのだ。

キラキラ輝く身体が美しい「富士の介」

そんなに手間も時間もかかるのに、なぜ「富士の介」を育てるのか? そんな質問に古菅さんは「そりゃ、おいしいからだよね」とにっこり。

堀内さんも「いや、本当にそうなんですよ」とすぐさま同意。キングサーモン由来の程よい脂は感じるけれど、山梨の清流で育てられた魚だから臭みは一切ない。それはそれは舌触りが良く、またうま味が強いのだという。

県から「富士の介」の開発の話を聞いたとき、最初からとても期待をしていたという古菅さん。「キングサーモンとニジマスを掛け合わせて商品化したのは、日本初のこと。他ではやっていない希少な魚だから、これを山梨県のブランド魚として育てていきたいよね。食べてみたら、期待以上においしかった。みんなにも食べてほしいね」と胸を張る。

奥ゆかしさがありながらも、堂々たる味わい

獲ったばかりの「富士の介」を手にする堀内さん。

興味津々、元気に泳ぎ回る「富士の介」を見ていた堀内さんに「一匹、獲れたてを捌いてみますか?」と古菅さん。

「ぜひ!」と目を輝かせる堀内シェフのために、タモで慎重に「富士の介」をすくう。桶に入れて、獲ったばかりの魚を掴み、すぐさま堀内シェフへ。

鈍い金色の鱗が輝く魚体に「きれいだなあ」と声を漏らす堀内シェフ。勢いよく手の中で跳ねる魚をしっかりつかむと、すーっと静かになった。

「繊細な魚というのが、掴ませていただいてより実感しました。みるみるうちに生気がなくなっていくんです。手の中で、命が消えていく時間がわかるというか。 ずっと扱っていたのですが、こんなに美しくて繊細な魚だというのは今日初めて知りましたね」と堀内さん。自分の目で、手で、その命と向き合い、思うところが多くあったようだ。

手際よく魚をさばく堀内さん

獲れた魚をスタッフみんなに食べてもらおうと、キッチンを借りて魚をさばき始める堀内さん。「僕はより、脂ののっている方がいいので3キロ近いものをとっています。今日のは少し小さめかな」。

けれど、堀内さんにとっても、さっきまで泳いでいた「富士の介」を獲ってさばくのは初めてのこと。いつもより身がしまっているし、色も濃いような気がする、そんな印象の違いを感じながら手際よく切り身にしていく。金色のうろこをまとっていた身は、さばけば鮮やかなオレンジ色で美しい。

実はこの、身の色というのも「富士の介」の特徴。キングサーモンの血を引くからこそ、きれいなオレンジ色をしている。規格によればカラーチャート27以上のオレンジでないと「富士の介」と呼ぶことはできないのだ。

こうした色をはじめ、さまざまなことで品質の管理も徹底されている。水産技術センターの卵から孵化させるか、稚魚を買って育てたものであること、加熱加工された安全な餌で飼育し、出荷時の鮮度保持の方法などまで細かく基準が定められている。こうした品質管理から、生食して安全なのも売りだ。

サーモンカラーチャートをあわせてみると、色が濃いことが明確にわかる

上品な脂に濃いうま味。実際、食味検査をしたところ、通常のニジマスと比べて、うま味、舌触り、脂のノリすべてにおいて大きく上回る結果となったそうだ。一方、海面養殖サーモンと比べると、高タンパク・低カロリー。まさにキングサーモンとニジマスの良い所取り、といったところだろう。程よい脂を持ちながらも繊細な身、そして上品な味わい。日本料理はもちろん、フレンチ、イタリアン、中国料理とジャンルを超えて使いやすい魚かもしれない。

「生でも、焼いてもおいしいんだけれどね。僕はね、刺身が一番好きなんだなあ。みなさんもぜひ食べてみてください」と古菅さん。 お言葉に甘えて、早速スタッフみんなで「富士の介」のお刺身を食べてみることに。

刺身を食べて、「おいしい!」と笑顔の堀内さん

同じ水で育った、すりたてのワサビとともに、ちょっと醤油をつけてパクリ。口の中で咀嚼しようとすると、身がしっとりと、なめらかにこなれていく。その口溶けはシルクのよう。上品な脂はすっきりとしながらも、マス類にはない独特のふくよかさを生み、うま味の余韻と混じり合っていく。鮭の王様「キングサーモン」の血を引きながらも、日本の清流で健やかに育った「富士の介」はどこか奥ゆかしさを感じさせながらも、堂々たる味わいだ。

「『富士の介』の育つ清らかな川、水、森、空気を全身で感じて、繊細さに触れて、今までのイメージが変わりました」と堀内さん。 どうやら、新しい料理のアイデアが閃いたようだ。

富士の介の詳細は「おいしい未来へ やまなし」のHPへ
https://www.pref.yamanashi.jp/oishii-mirai/

撮影/佐藤顕子  取材・文/山路美佐

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