Interview
暴走族から料理人、世界で活躍する食のプロデューサーへ
高校時代は暴走族に入り、遊び呆けていたという山本シェフ。高校卒業を目前に将来の岐路に立った時、父から「料理人になれ」と宣告されて進路を決めた。 乃木坂のイタリアン【ハングリータイガー】からローマの国立ホテル学校を経てフランス料理の巨匠ロジェ・ヴェルジェ氏に師事。一旦帰国をするも、自分の料理を確立させて、アメリカで成功したいという思いを胸に渡米した。それまでのヨーロッパとはまったく文化の異なるアメリカで、山本シェフは日本の食文化のレベルの高さと細やかさを改めて実感し、「ここできちんとしたものをつくっていけば、必ず成功する」という確信を持つ。 5、6年かけて、西洋人に受け入れられる料理を確立させ、84年には【リッツカールトン
ワシントンD.C.】の総料理長として3代にわたるアメリカ大統領の就任パーティーや公式晩餐会などを担当。その後、2005年に【マンダリンオリエンタル東京】のオープン準備のために凱旋帰国を果たしてそれを成功させ、2009年頃からはワールドワイドに展開する、食のプロデューサーとして活躍している。
コクのある骨太のアメリカンテイスト 『ショートリブのリガトーニ』
豚のスペアリブを2時間ほど煮込んでソースをつくり、手打ちのリガトーニに絡めた、食べ応えのある一品。香味野菜やローズマリーなどのハーブやオレンジオイルで香りづけをすると同時にリブの臭みを消し、鶏ガラでとったブロードに白ワインを加えてじっくり煮込んで仕上げる。味わう時には、サワークリームでコクを加えて、味に奥深さを与える。 この料理はイタリアンにアメリカンの要素を織り交ぜた、【グラムズ・カフェ】のスペシャリテだ。お客様が納得する味付け、満足するボリュームの料理を提供することを大切にする山本シェフの、料理に対する姿勢はとても柔軟。基本の技術的な部分は抑えながらも、根底にあるのは、「おいしい料理をつくり、ゲストに届けること」なのだ。
柔軟な姿勢で「ゲストが満足する料理」を追求・提供し続ける
レシピは所詮レシピでしかなく、ジャンルを超えることも重要なことではない。そのとき手に入る食材を生かして、味わいからボリュームに至るまで、いかに目の前のお客様が満足する料理をつくり、提供できるかを考えるのだ。 例えばイタリアンのソースに日高昆布や岩塩を加えてみたり、鉄板で赤ワインとポルト酒を煮詰め、パフォーマンスを魅せながらフレンチのソースをつくったりと、食べ手も喜び、つくり手も面白いと思える料理の確立が、食文化の向上につながっていくのだ。 イタリアンの料理人に始まり、フレンチやアメリカンキュイジーヌまで、幅広いジャンルを取り入れた無国籍シェフになっただけでなく、店舗のマネジメントやプロデュースに至るまで、活動の場を広げ、多岐にわたって邁進を続ける山本シェフ。そのグローバルな動きから、今後も目が離せない。
シェフの記憶に残るシェフ ~山本シェフが海外に目を向けるきっかけをつくったシェフ~
山本シェフが「この人がいたから今の自分がある」と言う人物。それは料理人として初めて修業に入った乃木坂のイタリアン【ハングリータイガー】で出会った阿部シェフだ。 当時、右も左もわからない山本シェフに、店のメニューにはないイタリアの伝統料理を教えてくれるだけでなく、立ち居振る舞いや料理人としての姿勢まで教え込んでくれた人だった。怖さのなかに優しさが感じられる人だったという。山本シェフをイタリアに誘ってくれたのも阿部シェフだった。 この誘いが今の山本シェフを築くきっかけを与えてくれた。山本シェフが日本で頑張る料理人たちをサポートしたいと考える裏側には、同じようにフックアップされた自身の経験が根底にあるのかもしれない。
撮影/伊藤 富貴子 文/ヒトサラ編集部