根っからの蕎麦好きが追求する
「蕎麦の可能性」
――落ち着いた雰囲気だけれども、蕎麦屋らしからぬモダンさもあるいい空間。ここでいただけるのが、シャンパーニュと合わせるお蕎麦ということで、蕎麦という料理の地平を切り拓くようなコンセプトですね。
蕎麦のいろんな料理に応用できるところにとても可能性を感じています。ガレットもそうですし、もちろん天ぷら粉に混ぜても使います。あと、蕎麦がきにして揚げたり、ちょっと食感を残してつぶつぶ感を楽しんだり。さまざまな使い方ができるので、これからもいろんな調理法を発見していきたいなと思っております。
――「やま幸」さんの極上マグロとお蕎麦の相性、いま研究中なのですね。
はい。鴨せいろもそうですけれど、肉や魚の脂と蕎麦の相性が元々いいんです。お寿司屋さんが好むマグロの部位は体の真ん中の部分なのですが、実は頭や尻尾のほうはよく動くところなので、ほどよく脂身があって旨みが強く、蕎麦にいちばん合うと考えてそちらを使っています。都内の高級店のお寿司屋さんが使うのと同じ個体なので、味はものすごくおいしいですし、極上のマグロは少し火を通しても生臭くならない。蕎麦との相性は抜群です。
――また、日本酒はもちろん、シャンパーニュやワインもいろいろと揃っていますね。【カンテサンス】の元ヘッドソムリエ市村暢央さんが監修されたとか。
どれもほかの蕎麦屋さんでは置いていないようなラインナップになっていますので、それも一緒に楽しんでいただきたいですね。
蕎麦屋というとやっぱりお蕎麦がメインになって、おつまみの数がどうしても少なくなってしまうところがあるんですけど、そうじゃなくていろいろなおつまみやお料理を置いて、お酒を楽しんでもらって、最後に〆でおいしい蕎麦を召し上がっていただけるお店にしていきたいです。
――そもそも、なぜ蕎麦のお店をオープンしようと思われたのですか?
幼少の頃から蕎麦が本当に好きで、蕎麦を大人と同じようにおいしく食べたくてわさびを入れるような子どもだったのです。あとは私が蕎麦屋で飲むのが本当に好きで、「こういうお店があったらな」という理想を形にしました。意外に思われるかもしれないのですが、蕎麦とシャンパーニュは、泡が蕎麦の香りを運んでくれるので、実はとてもよく合うのです。
――子ども時代のお話がありましたが、お父さまは富山で予約の取れない人気店【ねんじり亭】のオーナー料理人ですよね。料理人としての原点はやはりお父さまですか?
そうですね。父の姿をずっと見てきたので、大変そうだなと思いつつも、お客さまに喜んでいただけるところに惹かれて、この道を選びました。幼い頃から父が仕入れたおいしいお魚をずっと食べてきたので、ある意味すごく贅沢な暮らしをさせてもらったなと思っています。
名店【京味】で学んだこと
――修業先に日本料理を選ばれたのはなぜですか?
父から「専門学校に行くよりも、ちゃんとした日本料理店で修業をしたほうがいい」と言われまして。たまたま父の知り合いに【京味】出身の料理人の方がいらっしゃって、その方にご紹介いただき、たまたま運よく【京味】に入れたんです。18歳でお話をいただいて、入社したのは19歳のときですね。
――【京味】という名前の大きさは、どのように感じてらっしゃいましたか?
当時、実は【京味】さんのことをよく知らなくて、父から「すごいお店だから」としか聞かされていなかったです。でも、お店に入ってお客さまを見ていると、ハイクラスの方ばかりで、これはすごいところだな、とすぐ感じました。
――日本料理の歴史に残る名店ですものね。【京味】で7年過ごされて、修業はどんな感じだったのでしょう?
もちろん料理を任せてもらうまでには多少時間がかかりましたけれど、大将も先輩方もみんなやさしい方だったので、理不尽な厳しさというのはなかったです。でも、ちゃんと叱るべきところは叱ってもらい、育てていただいたと思います。
――いちばん辛かった経験はなんですか?
いちばん辛かったのは、おせちですね。12月30日の早朝から、仕上げては詰めて、を徹夜でやっていたので、やっぱり大変でした。食材が痛まないように暖房も使えないので寒いんですよね。「総がかり」といって、店全員、それにほかのお店からもお手伝いに来ていただいて、合計30〜40人ぐらいで、みんなでせっせと詰めていました。いちばん学んだのはお客さまへの姿勢。こうして心を込めて仕事をすれば、お客さまは応えてくださる、というところですね。
――調理の面で学ばれたのはどんなことですか?
いちばん大きかったのは、やはりおだしの扱い方かなと思います。【京味】の料理は京料理なので、素材の味を引き立てるすっきりとした味わい。しっかりいいおだしを取って、少量の調味料で味を引き立てる。このバランスはいまも自分の料理のベースになっています。とくに野菜料理ですかね、あれほどだしに依存するものもないですし。「おひたし」もそうですが、お野菜を炊くことがいちばん難しいかなと思います。
――いま使っているだしは【京味】そのままですか?
【京味】では、利尻昆布と本枯節の昔ながらのおだしだったのですが、うちは羅臼昆布とマグロ節がベースです。そこに少しだけ本枯節を使っています。マグロ節だとそのおだしにすごく旨みが入るのですが、うちは蕎麦屋なので、鰹節の香りも少しだけ付けようかなと、鰹節も使っています。
――蕎麦つゆが甘さ控えめで、やさしいだしの味わいが印象的でした。
実は、蕎麦つゆもだしとは配分を変えていますが、たっぷりの羅臼昆布とマグロ節でつくっています。砂糖はごく少量使っていますが、自分がこれまで食べたどこの店よりも、砂糖の量は少ないと思います。
日本料理を学び、いま考える「理想の蕎麦」
――【京味】でさまざまな日本料理の技法を学ばれて、その後いよいよ蕎麦屋として独立するために動き始められるのですね。
【京味】の後は【神田尾張屋本店】と中目黒の【驀仙坊(ばくざんぼう)】という2軒の蕎麦屋で3年ずつ勉強させていただきました。蕎麦といえば天ぷらはつきものですし、天ぷら屋で蕎麦を出すのもいいかもしれないと思い、その後、【銀座おのでら】さんで天ぷらを学びました。
――ご自身の理想とされているのは、どんなお蕎麦ですか?
うちの蕎麦は十割でしか打ってないんですけども、シャンパーニュに合わせる蕎麦としても、個人的にも、細くてのどごしのいい蕎麦が大好きなので、それでもちゃんと蕎麦の味と香りが出るというのが、理想の蕎麦かなと思います。
――その細くてコシが出る、でもちゃんと香りも保っていられる蕎麦をつくる上で、大切にしていることはなんですか?
蕎麦を打つ上でいちばん大切にしているのが、最初の水回しという工程、練り上げる段階ですね。あとは温度かなと思っています。使う水もそうですし、冷たい状態であまり温度を上げないで打つことが大切だと思っています。蕎麦は、温度を上げると香りが飛んでしまうので、低い温度でつくるのがベストだと思っています。
――コースの中に2度蕎麦が出てくるというのもおもしろいですね。
コースの中盤に出す季節の蕎麦ですと、基本が福井県産の挽きぐるみの蕎麦粉を使った太打ちに。〆の蕎麦は富山の「とよむすめ」という品種を使いまして、細打ちでのどごしのいいお蕎麦を出しております。蕎麦のいろんな味わいを感じていただきたいと思ってこの構成にしています。
――季節の蕎麦のバリエーション、12月の香箱ガニでは【京味】でのお仕事が生きる仕立てですね。
富山で獲れた香箱ガニの外子と内子と身を混ぜ合わせてあんかけにしています。そのほかにも、夏はジェノベーゼにするなど、いろんな可能性を探りながらつくっています。パスタとうどんはコシがあるので、ある程度火を通しても問題ないんですけど、蕎麦だと火を入れすぎると伸びて食感がなくなるので、火加減の調整は気を遣います。でも、蕎麦の香りと味わいは唯一無二。蕎麦だからできることを探求していきたいと思っています。
――蕎麦粉のガレットも、とてもユニークな料理ですね。
福井県産の在来種の蕎麦粉を100%使って、ガレットを薄くカリカリに焼き上げています。その上にわさびを乗せて、少し火を通します。その上にマグロのすき身とキャビアをのせて、包んで召し上がっていただく形です。これとシャンパーニュがすごく合いますので、ぜひ試してみていただきたい料理です。
――お客さまにはどんなシチュエーションで来てほしいですか?
平日の早い時間ならコースで、おいしい料理とおいしい蕎麦、それにお酒を楽しんでいただきたいです。平日の遅い時間と土曜はアラカルトもやっていますので、ちょっとシャンパーニュを飲んでお蕎麦で〆る、というまぁちょっとしたバーみたいな使い方をされたら嬉しいなと思います。
――本格的な日本料理のコースが出てくる蕎麦屋さんってあまりないと思うんですけど、そういう意味ですごく新しい蕎麦屋をやってらっしゃるのでしょうね。
自分は蕎麦が好きなのでよく食べ歩きますが、ほかにはないようなお料理とお蕎麦とシャンパーニュを出す、まったく新しいジャンルの蕎麦屋にしていきたいと思っています。
蕎麦自体がヘルシーですし、お肉も油もあまり使わないので重たくないんですよ。食後感が軽くて、「また来たいね」ってすぐ思っていただけたら嬉しいですね。
――自分の理想とされるお店を持って、これからどんなことを目標にしていかれますか?
「蕎麦とマグロとシャンパーニュ」。このコンビネーションをもっといろいろ探って、新しい料理をつくっていきたいですし、このお店自体が特殊というか、初めてだらけのことをやっているので、私のお店に食べに来てくれた方が、また新しい蕎麦やスタイルを生み出してくれたら、一人の蕎麦好きとしてもすごく嬉しいなと思っています。
撮影 / 三橋 優美子 取材・文 / 仲山 今日子 2022.12.5