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吉田 能 氏吉田 能 氏吉田 能 氏
吉田 能 氏吉田 能 氏吉田 能 氏

登録者数約70万人、SNSを駆使し 料理の魅力を発信する新時代のシェフ

【CIRPAS】吉田 能フランス料理

YouTubeの配信者として知っている人が多いだろう、コロナ禍中に始めた料理動画で一躍有名になった「George ジョージ」シェフこと、吉田能氏。現在チャンネルの登録者数は約70万人だが、その勢いは止まるところを知らない。謎のヴェールに包まれたその素顔は、銀座の星付きフレンチ【ドミニク・ブシェ】の元エグゼクティブシェフ。クラシックなフレンチを学び、その技を発信してきた吉田氏が、2022年11月、満を持して独立。港区白金台に、8席だけのカウンターフレンチをオープンした。SNSでの発信を成功させる秘訣、そしてYouTuberとして活躍する中、あえて店をオープンした、その理由とは。

Interview

大人気のYouTube、

約70万人もの登録者を惹きつける秘密

――約70万人もの登録者のいるYouTube、吉田シェフのことを、YouTubeで知ったという方もいらっしゃると思います。始められたきっかけは?

コロナ禍でお店にお客さまが来られない時期に時間ができて。何をやろうかと考えたとき、それまでSNSで発信をしていなかったので、SNSの発信力って重要なんじゃないかと思い、YouTubeをスタートしたのがきっかけです。

――それがものすごく成功されて、すごいYouTuberになられました。当時を振り返ると、大勢のシェフが、できた時間でいろいろな発信の仕方を模索してInstagramやYouTubeを始めたと思うんです。その中でも飛び抜けて成功されている秘訣は何なのでしょうか?

僕自身、そんなに成功している感じもしていないのですが、動画をつくる上で、自分がどういう人間なのかということを、要所要所で映像に入れるのは大事だと思っています。

視聴者の方って、その人を好きになるから頻繁にYouTubeを観てくれると思うので、個性を出さないと観続けてもらうのは難しいと思うんですね。どう飽きられずに観せるのかというのは、意識しているポイントです。

サムネイルには「シズル感」あふれる画像が並ぶ。コロナ禍が落ち着いたいまも、登録者数はうなぎのぼり。

――だからこそ、動画の中にお気に入りのキャラクターのフィギュアを出したりなさっていたのですね。自分らしさの出し方はいろいろあると思うのですが、ちょうどいいバランスをどのように見つけたんですか?

当初から、ふつうのレシピ動画と差別化をしているつもりではいました。自分の顔を映して「今日はこれをつくります!」みたく高いテンションで始めると、結構エネルギーを使いますし、ほかのレシピ動画と同じになってしまう気がしたんですね。

そこで自分らしさを考えたときに、綺麗な料理の映像に特化したい、そしてなるべく丁寧に解説したい。チャンネルをつくったときから、この両軸をやっていこうとは意識していましたね。

――実際に動画はどんな手順でつくっていくのですか?

自分の顔を映すのがそんなに得意ではないので、手元をフォーカスすることが多いですね。解説の音声は撮影後に付けるので、撮影時はあまりテンションを高くしなくても大丈夫なんです。まずは淡々と料理を仕上げて、綺麗な映像の撮り方だけを意識して、終わらせる。

翌日、アフレコしていくので、そこでテンションを上げていけばいいかなっていう感じです。とはいえ、ハイテンションというわけでもなく、ふだんに近いトーンで録音しているので、あまり無理はしていないと思います。

「特に成功したとは思っていないです」と自然体の吉田シェフ。カウンター越しの会話も、楽しみの一つだ。

YouTuberから独立へ

白金台の大通りから少し外れた、住宅街にたたずむ隠れ家は、大切な方とのとっておきのひと時に最適だ。

――いつか独立して、ご自身のお店をオープンすることは考えていらっしゃったとは思うのですが、元々そういう思いもあってYouTubeを始められたのか、結果としてYouTubeをやっていたことが独立につながったのかでいうと、どちらなんでしょうか?

元々YouTubeは、コロナ禍で持て余してしまう時間をどうしよう、というところからスタートしたのですが、チャンネルを運営するにつれて、なんとなく料理人を志す人の数が昔よりも少なくなっている気がしたんですね。それから、動画を観る若い人たちに「料理人っていいな」と思ってもらえるチャンネルにしたいという考えが軸になっていったので、独立には“結果的につながった”という感じです。

――では当時は、独立しようとは考えていなかったのですか?

考えていなかったですね。昔から、「やりたいことは思い立ったらすぐにやる」ことを意識しているので、動画を始めるのも、あまり計画的に考えて行動したわけではなかったかもしれないです。

――いつ頃から「お店をやりませんか?」っていう話が来るようになったんでしょう。

1年半ぐらい前からです。ありがたいことに、YouTubeを観てくださった企業の方から、この【CIRPAS】の話に限らず、お仕事の話をいただく機会というのは非常に増えました。

グレーを基調とした落ち着いた内装、端正に並ぶロブマイヤーのグラスが、特別な夜を約束してくれる。

――YouTuberとしてのご活躍も素晴らしくて、それだけでもやっていけると思うのですが、それでもやっぱりお店を持とうと決意したいちばんの理由はなんでしょうか?

YouTubeは、あくまで“情報を売っている”という感覚があって、「こういったつくり方があります、スーパーにある食材で家庭でも再現できますよ」と。ですが、僕は料理人なので、本来の仕事は情報を売るのではなく、「自分の料理ってこうなんです、どうぞ食べてください」っていうことだと思うんですよ。それがいちばん大きかったですかね。

――逆に言うと、YouTuberをメインでなさっていたときは、自分の料理を味わってもらえない歯がゆさみたいなものも少し感じていらしたんですか?

最初は、僕が伝える情報に共感していただけることにすごく魅力があって、それはいまも感じている部分でもあります。ただ、ありがたいことに視聴者の方から、コメント欄で「実際に食べてみたい」というリクエストもたくさんいただいて、「そうだよな」って思って。

一時は、料理教室もやっていたんですが、実際に会って教えていても、自分の料理を食べてもらうわけではないので、何か得られる感覚が違いました。料理人として、自分の料理を食べてもらえる場所があった方がいいな、という思いが強くなったんだと思います。

――独立後もYouTubeの発信は継続されていますが、両立は大変ではありませんか?

レストランの営業日には、お店に集中しています。なので、必然的に動画を撮影するのは定休日になってしまいますね。そこで1週間分を撮影して、というサイクルでやっています。

師匠、ドミニク・ブシェ氏のスペシャリテをオリジナルに解釈。季節のパンナコッタは落花生、カボチャなど。

料理の世界を目指した原点

――YouTubeでの表現力に注目が集まる面もあると思うのですが、フランス料理がとてもお好きなんだなというのが伝わってきます。フランス料理に対する思いは、いつ頃芽生えたんですか?

僕は埼玉県の出身なのですが、小学生の頃、近所にできたフランス料理店に、親に連れて行ってもらったんですね。そこでブールブランソースの魚料理に出合った。それまで焼き鮭しか食べたことがない子どもだったので、魚が、自分の知らないこんなにおいしい料理になるというのが驚きでした。シェフも優しそうでありながら、コックコート姿が凛としてかっこいいなと思ったのが始まりです。そして、フランス料理に憧れて、その後は料理学校を卒業し、就職してからフランスに渡りました。

――フランスでは、どんなところで修業されたのですか? 思い出に残るシェフの方、教えを受けた内容をおしえてください。

ワーキングホリデーを使って1年渡仏したのが、その後もお世話になるドミニク・ブシェさんのところです。当時、パリで一つ星だったレストランで修業しました。クラシカルな料理で、ソースを基調にした「あ、これがフランス料理だよな」と思う感じの料理。そこで覚えた料理は、僕の中ですごく大事なものです。

また、料理のテクニックだけでなく、フランス人と実際に生活して、仕事して「フランス人ってこうなんだ」というのを知れたのはとても大きかったですね。

現地でフランス人が何を食べているかを知ることで、自分の料理にリアリティが加わった、という修業時代。

――日本に戻られてからは、【ピエール・ガニェール】(ANAインターコンチネンタルホテル東京)に移られました。ガニェールさんのお料理はいかがでしたか?

多皿な料理で、パーツがすごく多いので準備は大変でしたが、とても勉強になりました。それと、全然思いつかない食材の組み合わせをされるので、本当にすごいなと思いました。日本店を任されている赤坂シェフからは、ソースの部分や、肉の火入れ、野菜の扱い方など、調理の基本的なことを徹底的に教わりました。

――その後、今度は日本で、またブシェさんのお店に戻られたんですね。

はい、【ドミニク・ブシェ】の東京店が移転するタイミングだったので、副料理長として声をかけていただきました。ゼロからのリニューアルでしたから、「お店をつくるときは何が必要なのか?」のノウハウはすごく勉強になりました。料理の試作もそうですが、特に厨房の備品や食器類の注文スケジュールは、先々を考えて動かなければいけなかったので大変でした。当時、食器は注文したらすぐ納品されるものだと思っていたんですよ。それが、在庫によっては納品までに、半年かかることもある。それまではお店の立ち上げをやったことがなかったので、知らなかったこと一つ一つが驚きで、すごく勉強になりました。

その後、東京のビストロ、金沢、名古屋、京都と合計5店舗の立ち上げに関わりました。

華やかな面が強調されがちだが「伝えたいのは、フランス料理の職人技」。人気の裏には、地道な仕事がある。

大好きなフランス料理を残したい

――そして、2022年11月にいよいよご自身のお店をオープンされました。【CIRPAS】では、ご自身のスタイルをどう表現されますか?

いろんな技術を教えていただいていたときには、それをお皿の中で余すところなく表現するように料理をしていましたが、いまは核となる部分だけを残して、できるだけ料理をシンプルにしようと意識しています。フランス料理は、肉や魚を焼くだけでもすごく手間をかけているんです。だんだんと、「この部分だけでも十分なんじゃないか」って、思うようになったんです。

それ以外に、付け合わせにも手間をかけ、ソースにも……となると、その中でいちばん伝えたい部分がどこなのかわからなくなってしまうんじゃないかな、と。焦点を絞って、ほかの部分は、あくまでもそれを引き立たせるように意識をしています。

信頼関係を築いたハンターから一頭買いする鹿。この日は岐阜県の元満真道さんが仕留めた本州鹿。

――「実はこんなに手間がかかっている」というのは、例えばどんな料理が挙げられますか?

たくさんありますが、例えばお肉を1週間熟成させるとなれば、それだけでものすごい準備期間ですよね。それでお肉にすごい旨みが出るのならば、やっぱりその旨みをダイレクトに伝えたいと思っています。それと、ソースもフランス料理にとっては大事。ソースをつくるのにも時間がかかるので、手間をかけたということがしっかりと伝わる味にしたいと思っていますし、いまはYouTubeでもそれを伝えています。

――8席のカウンター。それに対して4人の料理人がいるというのは、とても贅沢ですよね。

フランス料理って、人手がいる料理だと思うんです。調理器具だったり、いろいろなものが発達して削ぎ落とされても、これだけ時間も手間もかかるので、昔だったらもっと多くの人の手が必要だった。歴史を重ねて現在の形になっていることや、先人たちの素晴らしいレシピをなるべく伝えたいと思っています。

完成品だけを見ても、その裏側はあんまりわからないじゃないですか。丁寧に説明された方がもっと理解できると思うんですね。お店でももちろん伝えますが、YouTubeの動画でも細かく紹介したりして、その価値を別の視点で伝えられるんじゃないかとも思っています。

肉の状態に合わせて、フライパンや炭を使い分け、丁寧に火入れしていく。その様子が目の前で楽しめる。

――それが、独立した後もYouTubeをやっていらっしゃる理由の一つでもあるのですね。伝えたいフランス料理の大事な部分、いちばんはどこですか?

ソース……ですかね。フォン・ド・ボー(仔牛の骨でとるだし)をとることからしてすごく時間がかかるのですが、それが最終的なソースになるまでに本当にいろいろなことが鍋の中で起こっているんです。最後、それが料理という形になってお皿の上に落とし込まれる。つくっている料理人の自分からしても「すごいことだな」と思います。それが僕にとってのフランス料理でもあります。

消費者の方にも、いろいろな視点でフランス料理の価値を伝えていきたい。料理だけでなくいろいろなものが、時代が進むにつれてムダが削ぎ落とされてブラッシュアップされていきます。その中で、残すべきものはなんなのか。そこにどんな価値があるから残すのか。価値をわかりやすく伝えることで、僕から見たフランス料理を残していきたいと思っています。なくなってしまうのは嫌なので、そのために、料理も、動画での発信も、どちらも頑張っていきたいです。

シンプルに見えるけれども、奥深い味。その時々の食材の状態に合わせて柔軟に調理も仕立ても変えてゆく。

撮影/三橋 優美子 取材・文/仲山 今日子 2023.1.17

味わいたい至極の逸品

『“元満さんの鹿” 加賀蓮根 柿のチャツネ』

生産者との関係性を大切にし、生み出された料理の数々。鹿肉はよく使う食材の一つで、基本的に一頭買いし、綺麗に使い切る。こちらは岐阜県の女性ハンター、元満真道さんが仕留めた鹿。ロースは炭火でじっくり焼き上げ、内臓は加賀蓮根の中に詰めて焼き上げ、甘いスパイスを効かせた柿のチャツネを添えた。ソースは鹿肉の旨みだけでつくったジュがベース。命をいただき、食べる人の力にする。そんな循環を、情熱を込めて生み出してゆく。

吉田 能

1987年、埼玉県出身。料理学校卒業後、都内のホテルレストランを経て渡仏。パリ【ドミニク・ブシェ】で1年の修業を経て帰国。東京【ピエール・ガニェール】で肉部門シェフを務めた後、2015年 【ドミニク・ブシェトーキョー】スーシェフに。その後、同グループのエグゼクティブシェフに抜擢され、東京、金沢、名古屋、京都の店舗を統括。2021年3月に退職し、2022年11月【CIRPAS】シェフに就任。
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