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手島純也 氏手島純也 氏手島純也 氏
手島純也 氏手島純也 氏手島純也 氏

名店の血脈「100年続くレストラン」の 一部になるということ

【シェ・イノ】手島純也フランス料理

壊し、生み出すことを革新という。今日、美食の世界でその言葉を聞かない日はない。誰もが、新しい地平を切り開こうと切磋琢磨することは美しい。しかし、それと同時に、苦心して生み出されたものが、いかにもたやすく消費され、過去のものと見なされてしまうことも、何度も目にしてきた。そして思うのは、革新することと同じように、もしかしたらそれよりも、この激動の時代に「続けていく」ことは難しいのかもしれない。そんな中、この秋、一人の料理人が、大きな決断をした。手島純也氏。26歳の時から長年薫陶を受けてきた吉野建氏のもと、料理長をしていた【オテル・ド・ヨシノ】を離れ、【シェ・イノ】の料理長としての道を選んだ。

Interview

若い頃から憧れていた店の料理長に

2004年に移転、クラシックでエレガントな建物とインテリアは、日本の「グランメゾン」にふさわしい風格。

――ここ【シェ・イノ】に入ってくると、いまでも井上シェフがいらっしゃるような気持ちになります。初めて料理長として足を踏み入れたのが10月1日、すごく憧れていたお店だとお聞きしておりますが、どんなお気持ちでしたか。

いやもう本当、緊張……ですよね。身が引き締まる思いしかないです。でも、ここに人生をかけたいという覚悟で来ました。

――井上シェフはご自身にとってどんな存在でしたか?

いまでもそうですけど、雲の上の存在です。僕が、この世界に足を踏み入れたときにもう、すでに神様的なシェフの一人だったので、そのお店の厨房を担うことができるなんて、まったく想像もしていませんでしたから。とにかくやるしかないな、という気持ちですね。

――若い頃には研修にもいらっしゃっていたそうですね。

まだ、故郷・山梨のフランス料理店【キャセロール】で働いていた22歳頃のことです。勉強しようと思って、東京のレストランの食べ歩きをしていたときにとても感動したので、なんとしてもここで勉強したいな、と。それで直接電話をさせていただいて。次の週から休みを利用して、研修にお邪魔していました。月に一回とか、数ヶ月に一回というペースで、3年間、断続的に研修をさせていただきました。

――その後フランスに渡って、のちにパリで一つ星を取る吉野シェフの【ステラマリス】に入られる。世界的に広く認められている、二人の巨匠から学ばれたことは、どんなことですか?

【シェ・イノ】の料理は、これから古賀純二シェフを介して学んでいかなくてはと思っているのですが、二人とも提供するものの味や質に対して、とても厳格だと思います。あとは、フランスのフランス料理に対するリスペクトがあり、日本人がつくっているけれども、あくまでもフランス的であるということだと思います。日本の食文化や日本の調理技術に頼るのではなく、あくまでもフランスのフランス料理の土俵で勝負している。ですので、僕もその枠の中でそういう料理に挑戦していけたらと思います。そして最終的に、僕にとっては、二人の大きなシェフの料理を、紡いでつくっていけたらなと思いますけど。

東京で食べ歩く中、その味に衝撃を受け、休みの日を利用して山梨から研修に訪れていた22歳の頃。

――フランス料理のフランス料理らしさはどんなところだと思いますか?

料理そのものを抜き取って考えたときは、「香り」だと思います。香りがフランスであるかないかがいちばん大きいと思いますね。あとは、技術的にあくまでフランスの技術をベースとして使っているか。いま少し廃れつつある技術の一つだと思いますが、ソースの大切さ。【シェ・イノ】はソースをとても大事にされている。昔、井上シェフの異名であった「ソースの井上」っていう言葉。いまは古賀シェフがそれを受け継ぎ、さらに上質なものをつくっていらっしゃいますけど、そういうこともしっかり、僕が引き継いでいけたらな、と思います。

――やはりこう、ソースの解釈やつくり方も時代とともに変わっていると思うんですけれども、ご自身の考えるいまの時代のソースは、どんなものですか?

“現代的”という意味では、軽く、素材を邪魔しないという方向にいくことは間違いないと思うんですけども、圧倒的な味があって、お客様が必要だと思ってくださるのであれば、それが正解だと思います。まさに【シェ・イノ】のソースは、そういうソースだと思っているので、それを僕がしっかり体得して、さらになにか上乗せしていけたら理想だと思います。

パテアンクルートは生地、肉の理解と構成力、コンソメゼリーという異なる3つの技術がいずれも高いことが求められる。

日本の文化に頼らないフランス料理のあり方

『蝦夷鹿、鶏、鴨のパテアンクルート』は、新たな門出を迎えた自身の原点、和歌山時代のスペシャリテをそのままに。

――日本でつくるフランス料理の、アイデンティティについてはどう思われますか?

フランスで修業をして帰ってきた日本の料理人が、かならず当たる壁の一つだったと思うんですよね。かつては、やはり「フランスがこうだから」とあくまで現地に即して料理をつくる時代があったと思うんですけど、次第にそれに縛られなくなっていったと思うんです。

「日本の食材を使って、食べるのが日本人で、となるとフランスのそのままをつくる必要はない。だったら、ここをこう変えていい、こういう香りを入れよう」というのは優秀な料理人ならば当然、考えるべきことだと思うんです。

でも、僕があえてそうせず、伝統的なフランス料理の道にいるのは、ただただ僕が、フランス料理が好きだからです。たとえばフランスの食材を使ったとしても、フランスで食べられないぐらいに美味しければ説得力がある、それをめざすのがいいんじゃないかなと思います。

「日本化されていない」フランス料理という文化を、シーンの一つとして、なくしてはいけないと思うんです。【シェ・イノ】はまさにそれを体現しているレストランの一つであると思うので、ここで働けて僕はとても幸せだと思うし、井上シェフ、また、お世話になった吉野シェフに対する、恩返しの一つだとも思います。そうして、日本を代表するレストランの一つに、なれたらいいと思います。

【シェ・イノ】の文字が輝くショープレート。巨匠の遺産(レガシー)を未来につなぐさまは、リヨンの【ポール・ボキューズ】を思わせる。

――井上シェフが、フランスで修業されたのは60年代から70年代、吉野シェフも70年代から80年代初頭にかけて。いまのように簡単に海外に行けなかった時代だったからこそ、フランス料理とフランスへの強烈な憧れがありました。その熱量がすごかった。一つの時代を代表する味ですよね。味の基盤となる「美味しい」ってなんだと思いますか?

あくまでフランス料理的な「美味しい」であるならば、フランス料理には明確な方程式が、クラシックには残っています。とはいえ、100年前の料理とまったく同じものをつくったとして、「これが正しい、美味しい」とはならない。重かったり、現代の嗜好と合わない料理は、時代とともに淘汰される一方で、100年前につくられたにもかかわらず、いまでも評価され、美味しいと思われている料理もある。それを磨き込んでいくことがとても大事で、フランス料理の枠内の「美味しい」のつくり方にのっとった現代化をしていくことが大事だと思います。

――その上で、手島シェフにとって、ソースはとても重要だと考えている。フランス料理は濃いソースで素材のくさみを消す、なんて言われがちですが、そうではないと。

フランス料理の歴史をひもとくと、元々、庶民の食事のスタートは、ほとんどスープなんですよね。それを「美味しくする」ために発展して、究極的には、宮廷料理のソースという存在になったと考えているんです。あれを足そう、これを引いてみよう。王様が食べるものなので、予算の制限もない。日々、その時代の最高の料理人が工夫していったもののベースが100年前にある程度、形づくられたわけです。その結果生み出されたものだから、まずい要素っておそらくないはずです。その中から、いまにつながる、評価される味を取り出してきて、つくることがいまのフランス料理のソース観だと思います。

「クラシックの殿堂」と呼ぶのにふさわしい、重厚なインテリア。いまも井上シェフの声が聞こえてきそうだ。

――その、取捨選択の基準はどんな風に?

重さというのが、少し難しい問題ですよね。日本人の方が歳をとられてフランス料理を敬遠する一つの理由として、やっぱり食後感が重たいからだと思うんです。そこが快適に食べられるようになれば、その問題が解決されて、美味しいと思っていただけると思うので、全体的なバランスの取り方はとても大事だと思います。

【シェ・イノ】の厨房には、圧倒的に完成された、ソースがある。それを時代に合わせてどう変えていくか。大きな変革ではないです。少しずつ、わからないぐらい少しずつ。いまのお客様に評価されているレストランですから、大きな変革っていうのはお客様が望まれていないと思うのです。だから少しずつ、全体の油脂量の減少であったりとか、酸味や香りの使い方で変えていこうと思っています。

――それは料理全体に関しても言えることですか?

ソースに限らず、明確に評価されている料理が【シェ・イノ】にはいっぱいあるわけですよね。いわゆるスペシャリテと呼ばれる料理。それを、僕が「新しいシェフになりました。今日からこういうふうに変えます」ということはないです。

あくまで【シェ・イノ】の料理。【シェ・イノ】の伝統にのっとった上で、次世代につなげていくような料理をつくっていくことが大事だと思います。

100年続くフランス料理店に

『トリュフのラヴィオリ シャテーニュ栗のカプチーノ仕立て』は、心から尊敬する二人の巨匠へのシグネチャーを一皿に。吉野シェフの『シャテーヌ栗のポタージュ』に、井上シェフの『ラヴィオリとトリュフ ソース・オ・マロン』を重ねた。

――このお話をくださったのが、古賀シェフでいらっしゃって、すごくご自身にとっても大きな存在でいらっしゃる?

研修時代から存じ上げていましたけども、【オテル・ド・ヨシノ】でフェアをしていただいたときに、古賀シェフと深く話をさせていただき、その際にお誘いをいただきました。一番大きかったのは「このレストランを、100年続くレストランにしたい」という古賀シェフの言葉。ロマンのある話で、素晴らしいと思い、移籍する大きな理由の一つになりました。

――とくに近年、その傾向が強いように思うのですが、フランス料理は、革新を大切にしますよね。革新って、ある意味、壊してつくる。でも壊してつくった先のものっていうのが意外に大事なんじゃないかなと。それは未来につなげていく、っていうことだと思うんですね。そのつなげるという仕事を、古賀シェフが立派に務められてらっしゃる。つなげる、続ける、そのために大事なことはどんなことだと思いますか?

【シェ・イノ】は再来年40周年になるんですけど、40年一つのレストランが続くだけでも、僕はすごいことだと思うんです。その40年のうち、古賀シェフは30年以上働き続けている。それもある意味、奇跡的なことですが、さらに100年まで。簡単ではないけれど、とてもチャレンジのしがいがあることだと思います。

僕の生きてる最中に100年続くかを見届けることはできないかもしれませんが、それでも、長く続くバトンの一部分を担えるっていうことには、とても感動しますし、情熱を傾けられることでもあります。ぜひとも、ここから先、何年かわかりませんけども、古賀シェフからの思いをいただいた分、しっかりお返しをさせていただきながら、さらに新しい世代をつくっていくことが大事だと思います。

「100周年を迎えたときを、僕はこの目で見ることはできない。でも、受け継いでゆくバトンの一部になれることに感動する」

――日本のフランス料理の歴史の一部になる、そんな思いでしょうか?

やはり東京の真ん中で、そういう思いをもって仕事ができることは、まずとても幸せなことでもありますし、責任あることだと思います。世界での オートキュイジーヌ(伝統的な高級フランス料理)の潮流を見ると、残念ながら少しずつ志す人やレストランが減っていると思います。むしろ、これからもっと少なくなると思うんです。

そういう中で、つくり手に対しても、食べ手に対しても、「こういうフランス料理があった」と示し続け、なおかつしっかり現代で評価される。食事の選択肢の一つとして、生き残っていくことがもしできたのなら、料理人としてはとっても幸せだと思います。

――それが手島シェフがすごく好きなフランス料理でもあり、それを未来につなげていく、役割があるということですよね。

まさにその通りだと思います。それを大袈裟ですけども、人生をかけてやれたら、とても幸せな料理人人生だと思います。

――文字通り、一生をかけて、ここで。

そうですね。ここで骨を埋める覚悟で来たので。

――将来、この【シェ・イノ】がどうなっていってほしいですか。どんな未来を描いていますか?

【シェ・イノ】は、「【シェ・イノ】だからね」っていう言葉で使われるべき、絶対的な存在感がある数少ないレストランです。その立場と地位をしっかり守って、100年に向けて発展していければいいと思います。

撮影 / 三橋 優美子 取材・文 / 仲山 今日子 2022.10.12

味わいたい至極の逸品

『スコットランド産ペルドローグリ  サヴォイキャベツと共に』

手島シェフが得意とするジビエシーズン、その幕開けを告げるペルドローは、キャベツとの相性が抜群。やわらかい胸肉をフォアグラと共に、サヴォイキャベツで巻いて蒸しあげる一方、旨みたっぷりのもも肉は炭火で焼いて、香ばしい香りをまとわせて。「ソースの井上」と呼ばれた巨匠の味を受け継ぐ古賀シェフの手によるもの。ペルドローのジュにアルマニャックを加えた香り高いソースを添えて、継承を印象づける一皿。

手島純也

1975年山梨県に生まれる。甲府の老舗フランス料理【キャセロール】で修業後、2001年、26歳で渡仏【ステラマリス】で吉野建氏に師事。その後、5年間に渡り、3つ星レストランから下町のカフェまで、フランスの食についての知識と技術を学ぶ。2007年2月に帰国、パークホテル芝【タテル ヨシノ】料理長、同年9月に和歌山【オテル・ド・ヨシノ】料理長に就任。2022年10月より【シェ・イノ】料理長。
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