2022年12月オープン「010ビル」の
2つのレストラン
――商業施設「キャナルシティ博多」近く、スタイリッシュな建物「010ビル」全体の料理を任されていらっしゃるそうですね。1階に【GohGan】、3階に【Goh】。建物内の2つのレストランについてお伺いできますか?
1階は【GohGan】という、バンコクのガガン・アナンド氏とコラボレーションしたレストランです。“Goh”が僕で、“gan”がガガン。二人の名前をくっつけた店名になっています。2016年からコラボレーションを始めて、彼はインド料理、僕はフランス料理がベースなので、彼と僕の料理が合わさった「インディアンフレンチビストロ」というのが近いと思います。インド料理のスパイスの使い方と、フランス料理のテクニックをミックスした、アラカルトのメニューが中心です。3階【Goh】は、前店【ラ
メゾン ドゥ ラ ナチュール
ゴウ】(現在の店に移転オープンするため昨年10月で閉店)のコース料理をさらに進化させて、より自分がつくりたい料理をつくれるレストランにしたという感じですね。
――フランス料理の技法を使いながらも、山菜などの和の食材も活かして繊細でやさしい日本的な味付けなのが印象的でした。
そうですね。僕は福岡でしか修業していないので、やっぱり福岡、ひいては九州の人に好かれるようなレストランをずっとやっていきたいと思っています。「フランス料理は年に1回でいい」と思っている方に、“日常的に”とまではいかなくても、頻繁に来ていただきたくて、日本人の口に合うような味付けにしています。
前の店は西中洲で20年間、独立して初めて自分で出したお店なのですごく思い入れもありましたが、キッチンが狭くて動線などで苦労していた面もありました。そういう意味ではロケーションは良くなりましたし、窓がある開放的なところでつねに仕事ができるのは精神的に、ものすごくいい感じです。気持ちもリフレッシュしましたし、広い場所でいろいろな使い方ができるようになりました。
2つのレストランがあることでいろいろな使い方ができるので、現段階を「完成」とは思わず、いまも毎日試行錯誤しながら、みなさんに喜んでもらえるような場所にしていきたいと考えています。
料理人としての原点
――幼い頃から、料理人になることを決めていたとお聞きしました。どんなお子さんだったのでしょうか?
騒ぐのが大好きで落ち着きがないのに、反面、人見知りも強い子でした。でも料理はずっと好きで、本を読んだり、テレビを見たり、小学生の頃はすでに誕生日プレゼントが調理器具や食材でしたね(笑)。小・中学校をそんな感じで過ごして、高校2年生のときにはもう、夏休みにフランス料理店の研修に入っていました。
――本当に子どもの頃からいろいろつくっていらしたんですね。なぜ、料理が好きになったのでしょうか?
それが、じつはあんまりよく覚えていないんです。うちの父が左官業で、会社員の家庭ではなかったので、将来会社員になるイメージは元々ありませんでした。特別、親が料理好きというわけでもなかったのですが、郊外に住んでいたからか、「よりおいしいものが食べたい!」という思いは人一倍強くて、それなら自分でつくればいいという理由で、料理が好きになっていったような気はしています。
子どもの頃、40〜50年前はまだコンビニもなかったですし、自分でつくらなければいろいろ食べられなかった。両親も共働きでしたので、土曜日のお昼とか、誰もいないときは、結構自分でつくっていましたね。
――当時の、得意料理で覚えているものはありますか?
得意料理というわけではないですけれど、記憶に残っているのは、「バナナのムース」ですね。当時、本もレシピもなくて、見よう見まねでバナナをすりおろしてゼラチンを入れてつくったのですが、硬ーいムースができたっていう思い出があります。いま思えば、生クリームもメレンゲも入れていないので当然ですね(笑)。これといった得意料理があったわけではありませんが、高校時代には友達の誕生日にケーキを焼いて持って行ったりとかして、みんなに食べてもらったりしていました。
――高校を卒業すると、すぐにフランス料理店に入られます。どんな経緯で独立に至ったのでしょうか?
18歳から25歳まではフランス料理店にいて、25歳から31歳まで中洲の小さなワインバーに勤めていました。最初の修業先であるフランス料理店では、クローズドキッチンだったので、戻ってきたお皿を見て、空になっているかどうかで判断していたのですが、25歳でワインバーに入ると、食べている最中のお客様も目の前で見られるようになって、そうすると食べるスピードとか、食べているときの表情とか、もっといろいろなものが見えてくるようになったんですね。そのときに「難しいことをしすぎても良くないな」と思って。そこで和の要素を採り入れる、シンプルで食べ疲れない料理のほうにシフトしていったのかな、と思います。
元々独立心がなくて、どちらかといえば「2番手ぐらいがいい」と思っていたのですが、30歳を過ぎた頃から料理の方向性も決まってきて、少しずつ自分のことを人に認めてほしいという気持ちが出てきて、縁もあって31歳のときに独立をした、という流れです。
世界を見る中で培われた「発想力」
――独立されたあと、国内外からの注目がどんどん高まって、2016年には「アジアのベストレストラン50」にランクイン。受賞時は、どんな思いでしたか?
大きなサプライズでした。当時、そのランキングのことはあまり知らなかったですし、そもそも有名になりたいというより、福岡の中で毎日満席のお店をつくりたいと思って、ずっとやってきていたので、「本当に自分が?!」という気持ちでした。ランキングに入ったことをきっかけに、国内のトップシェフと呼ばれる方々や海外のシェフともご縁ができて、交流できるようになったのは、すごく大きな経験でした。全体としては料理の発想力、スタッフのモチベーション、お店のレベル、いろいろな意味でステップアップできたという感じがしています。
――ベスト50に入ったことで、ご自身のスタイルというのは若干変わったりされましたか?
元々、料理人としてはずっと「福岡の人に好かれたい」と思いながら料理をしてきました。でも、「アジアのベストレストラン50」に入ると、当然ながら海外や日本の美食家と呼ばれる方々もいらっしゃるようになります。そこで、「発想力を豊かに、前衛的なものをつくらなければ」という気持ちと、「これまでのお客さんに楽しんでもらわないと」という気持ちの両方で板挟みになってしまいました。値段もコース6000円でやっていたので、当時はそれが本当に大きな悩みでした。
――どんなふうに落とし所を見つけていったのでしょうか?
どちらかに寄せるのではなく、最終的には「今日来てくれたお客さんに喜んでもらう」と吹っ切れて考え始めてから良くなったんだと思います。
あの頃、いろいろなシェフとコラボし始めたこともすごく勉強になりました。元来、コラボするのはあまり好きではなかったんです。経費がかかる分、お客様の負担も大きくなりますし、連日のイベントだとどうしても料理の質が初日から段々と落ちてしまう。ただ、そのときしかないライブ感であったり、ほかのシェフの料理のスタイルも、一緒に仕事するといろんなことが分かるんですね。特にガガンと出会って「ゲストが楽しければ、もっと自由にやっていい」とすごく感じましたね。きちんとしている部分は日本人の長所だとは思うんですが、一方で「こうでないといけない」という思い込みが短所にもなっていると思うんです。発想力、創造力という意味では海外のシェフたちとコラボすることで一皮も二皮もむけて、料理もお店も、よりレベルアップできたと思います。
ガガン・アナンド氏との出会い
――1階の【GohGan】を一緒につくったガガン氏とは、どのようにして出会ったのでしょうか?
2014年に、中国人の友人が上海の【ウルトラバイオレット】という、当時「アジアのベストレストラン50」上位の常連だったレストランに、ガガンと僕を招待してくれて、そこで出会いました。そのときは、まさか一緒にお店を出すことになるとは、まったく思いませんでしたね。それから少しして、その中国人の友人の誕生会を今度は僕の店で貸し切りでやることになりました。ガガンも福岡に来てくれて、彼のほうから「サプライズで一緒に料理をつくろうよ」という話をしてくれました。そのコラボを、ガガンが「GohとGaganだから“GohGan”だ」と名付けて、以来、いろいろな国でポップアップイベントをすることになりました。
――それが発展して、一緒にお店を出すことになったのですね。開店までにはコロナ禍もありましたが、一番大変だったのはなんですか?
店を出すことを決めてからコロナ禍になりましたが、その3年間はガガンにも会えず、本当にレストランができるのかと考えることもありました。ですが、2016年に「アジアのベストレストラン50」に入ってから2020年まで毎月のように海外に行ったりと駆け抜けていたので、逆に1回立ち止まって考える時間になりました。いま思えば、あのままのスピード感でやり続けていたら、どこかで崩壊していたんじゃないかとも思います。
――そうして迎えた2022年12月のオープニングから3ヶ月。思い描いていた通りの形になりましたか?
オープンして3ヶ月なので、まだ形になっているとも思いませんが、ガガンが福岡に来たり、僕も海外に行ったりして、真っ白なキャンバスに色を塗っていくように、いまから自分たちの理想のお店にしていければいいなと思います。
福山流「引き寄せの法則」
――元々「2番手ぐらいがいい」と思っていらっしゃったというお話でしたが、引き寄せ力というか、すごい巻き込まれ力を持っていらっしゃいますよね。
本当に運がいいですよね。だから「運がいい男」を紹介する番組ができたら、もういの一番に出たい(笑)。当時、アジアのランキングで1位だったガガンが僕に声をかけてくれたとか、日本のトップシェフの方々が仲良くしてくれたとか、本当に恵まれています。福岡という場所も近すぎず、遠すぎず、みんな気にかけてくれたのが良かったのかな、と思います。
――とはいえ、それも単なる運だけではなく、福山さん自身の判断基準とか、人との接し方に、何か「引き寄せる法則」みたいなものがあるんじゃないかと思うんですが……?
うーん……なんだろうな(笑)。基本的に、人を嫌いにならないっていうことですかね。長所を見たほうがいいとは思っていて、そうするといろんな人と仲良くできます。それと、これは僕の性格ですが、みんなが楽しくハッピーになることをやりたい。こっちだけが、向こうだけがいい思いをするとかではなくてお互いに楽しいからやる。だから、いまストレスや悩みを抱えることもほぼありません。ダメだったらやめればいいし、寝たら忘れるし、あまり考えすぎないタイプではあるかな。でも、楽観主義者の反面、何かをやっていないと不安症みたいな面もあって、両方持っているからバランスがいいのかもしれないですね。
――人といい関係を築きつつ、何事も楽しむ。そんなご自身のあり方は、お店にも反映されている気がします。
レストランは、おいしい食事はもちろん、いい空間で楽しんでいただく場所です。たくさんのいいお店がある中で、「いまから行こう」と思えるお店って大体の人が思い浮かぶのは2〜3軒だと思うんですよ。うちであれば、記念日や洋風なものが食べたいと思ったときに、その中に入っていなければいけない。そのためには、料理だけがおいしくてもダメ。例えばお店が汚いとか、何か一つが良くないだけでも、お店の印象はまったく変わります。かといって、すべてを完璧にするにはコストもかかり、結果的にその負担はお客様にもかかってしまうので、料理の味、雰囲気、スタッフの対応、すべてをバランス良くして、みんなに「行きたい」と思ってもらえるのが理想ですね。
――今後は、外国人のゲストも戻ってきて増えてくるのではないかと思います。そんな中で福岡から、【Goh】【GohGan】から発信できることも大きいのではないでしょうか?
そうですね。ですがまずは、福岡が盛り上がって地元の人に喜んでもらいたい。僕がガガンやいろいろなシェフと出会ったように、九州で頑張っている若いシェフたちと一緒になって盛り上げていって、結果的に九州の人にも、それ以外の人にも来てもらえるようなお店になれれば、と思っています。
僕、結構お客さんの反応は気になるタイプで、じつはガガンも奔放に見えて僕と同じで結構細かなところまで気にするタイプ(笑)。でも、だからこそどんなに小さな喜びや楽しみも見つけられる。自分たちも、お客様も楽しく過ごせるような、いい循環が生まれる場所にしていきたいですね。
撮影 / 本廣 訓 取材・文 / 仲山 今日子 2023.2.21