Interview
お客様が美味しいフランス料理を自分で
判断できるようになったことで、日本のフレンチは進化している
――「1人でも多くの人にフランス料理を」という想いのもと、市川シェフは約30年以上、料理に向き合っているわけですが、その立場からみると、現在の日本のフレンチはどう映りますか?
僕がフランスの修業から帰国した1991年からみれば、確実に良くなってきていますね。これは料理人の進化というより、お客様が自分の舌と目と口で、美味しいかどうか判断できるようになったということで、この10年くらいでビストロがブームとも言えるくらい浸透した結果でしょう。僕らも2004年に【ラ・ピッチョリー・ドゥ・ルル】という郷土料理を出すビストロで仕掛けて、かなり貢献していることを自負していますが、フランス料理を理解するには、『ブータンノワール』や『カスレ』、『ブイヤベース』、『パテドカンパーニュ』など、ベーシックなメニューがどんなものかを知らないと難しいと思います。今のお客様たちは、そういった料理をビストロで気軽に食べる機会が増えています。それは非常に良い傾向だと思います。
――【トロワグロ】で修業し、【ポール・ボキューズ】の東京店のシェフを務めるなど三ツ星レベルでのキャリアを十分に持つシェフとしては、意外な発言だとも言えますね。
例えば、フランスで生まれた人は、子供の頃から基本のメニューを食べています。当然、段階を追ってイメージできるので、ジョエル・ロブションであり、ポール・ボキューズであり、トロワグロであり、そういったトップシェフたちが、ベーシックなフランス料理をどう変えて三ツ星のレベルまでに持っていったかを自然と理解しています。ところが、90年代までの日本のフレンチは、そういった頂点の料理を学んで帰国した料理人たちが、頂点の料理を突然作り始めたわけです。言ってみれば、料理は大学院生、食べる人たちは幼稚園児みたいな、いびつな状況がありました。もちろん、バブルの頃などお金の余っていた時は、高いことに価値がありますので、そういったトップの料理を出すレストランが必要とされていたのかもしれません。でも、それは本当の食文化とは違いますよね。
ビストロが一般的になり、『ブータンノワール』の原型はソーセージの形で出されるのを知った上で、クロスの敷かれたレストランで小さなケーキのようなブータンノワールが出てくるのを体験するのとは全然違いますよね。『カスレ』は伝統的には土鍋で出てくるものなのが、レストランで洗練させるとこういうスタイルになるんだとか。それを理解したお客様が増えてきているので、「フレンチだから高くてもいいんだ」、「緊張して何を食べたかわからなくてもいいでしょ」というような店からの押し付けはなくなってきましたし、まがいものは通用しなくなってきていますね。
時代のニーズを捉えつつ、
本当に美味しいフランス料理とは何か?を考え続ける
――初めてシェフになったのが銀座の【レザンドール】ですが、ご自身の著書『フレンチの侍』では、この当時の自分の料理を「不味い」と書かれていますね。
もちろん次の仕事に繋がるような評価は頂いたわけですし、本当に不味いわけじゃないですよ。現在でもスペシャリテになっている『生ウニの貴婦人風』はこの時生まれましたし。シェフになる前は、“自分の料理”はつくっていけないので、その反動で、やりたいこと、開けたい引き出しは山ほどありましたね。ただ、今から振り返ってみると、やりたいことをやっていただけで、お客様は関係なかったんですよ。独りよがりで鼻持ちならない、これを食えというようなスタンスですよね。お客様は、よく文句も言わずに食べていてくれましたよね。それは本当に美味しい料理だとは言えないと思います。
――現在では、クラシックな技法まで要所要所に取り入れていますが、そういうことが自然にできるようになったのは、何かきっかけがあったのですか。
2002年に【白金シェ・トモ】をオープンさせ、経営者になったことです。オーナーシェフになってまず考えるのは、いかに自分の店を潰さないかっていうことです。自分が今まで積み重ねてきた技術を崩してまで、違うことをやるわけでもないですが、突き詰めて考えていくと、店を潰さないということは、お客様のことを考えるということとイコールになったわけです。
例えば、スペインの『エルブジ』がつくりだした分子料理がありますよね。それまでの感覚だと、どう技術を駆使しても不可能な料理ができるようになっちゃったんですよ。僕自身も、ミラクルだ、やってみたいと思ったように、日本も含めて多くの店がワーッと取り入れました。ところが、ほぼ同時だと思うのですが、ある時、お客様も料理をしている方も「だから何?」っていう風に捉えられ、終わりつつあるスタイルになったと思えます。だた、そういった試みを通過したことによって、「食べて美味しいとはどういうことか?」を見つめ直すきっかけになったという意味では重要な試みだったと捉えています。
――市川シェフの場合、直接親交のあったピエール&ミッシェル・トロワグロやポール・ボキューズなど指針となる存在がいます。
ボキューズなどは、一時期「進化を止めた」とまで言っていましたから。ああいう生き神様みたいな人たちから直接いただいた言葉のきっかけがなかったら、自分でクラシックな料理にも向き合うことを、自信を持って言えなかったでしすね。5年周期くらいでお客様は変わっていくものなので、ある程度時代のニーズは察知しつつも、結局は「本当に美味しいものは何なのか?」っていうことを追求していくだけです。今は、「自分が何を食べているか実感できるものを食べたい」、そういう風にフランス料理に対するお客様の欲求が動いてきていると思います。
撮影(人物)/鈴木俊介 文/ヒトサラ編集部(2014.10.15取材)